笠戸丸移民と交換=後藤参議、手土産持って=裕見さんは「ソウ・ジャポネーザ」

8月13日(水)

 [パラナ支局]戦後移住五十周年記念祭典行事に参加するため来伯した後藤博子参議院議員、歌手の井上祐見さんは、去る七月二十八日、連れ立って、ロンドリーナ市在住の笠戸丸移民生存者、中川トミさんを自宅に訪問した。参議は、トミさんから昔の苦労話を聞き、励ましと労りの言葉をかけた。祐見さんが「ソウ・ジャポネーザ」を歌うと、トミさんは涙でハンカチを濡らした。
 後藤参議の中川家訪問は、来伯が決まった時点で三塚博・日伯議員連盟会長から提言があったという。この日、夫の克幸氏、祐見さんとともに、嶋田巧パラナ日伯文化連合会会長の案内で訪ねた。祐見さんは、二回目。
 参議は、持参した手土産を一つひとつていねいに説明しながらトミさんに手渡した。祐見さんは、今回、サンパウロの五十周年式典でテーマソングとなった「ソウ・ジャポネーザ」ほか数曲をトミさんのために歌った。耳を傾けていたトミさんは、堪えかねてハンカチで涙をおさえていたが、そのハンカチもすぐにくしゃくしゃになってしまった。参議がそっと新しいハンカチを出して、優しく労るシーンは、家族やまわりの関係者をもホロリとさせた。
 参議一行は、中川家の家族とレストランで昼食をとったが、めったに外出しないトミさんも同行するといい、実行し、家族をびっくりさせた。
 昼食後、一行は嶋田会長、沼田信一日文連教育部長らに案内され、ローランジアの移民資料館を視察、その後、日文連会館で約七十人の人たちと懇談した。西森ルイス・パラナ文化運動連盟理事長(さきごろパラナ州議員に繰り上げ就任)も駆けつけた。
 懇談会は、さまざま議論や要望が続出し、話がすすみ、最後に祐見さんが「ソウ・ジャポネーザ」を披露するころには、帰りの航空機の出発時刻が迫っているほどだった。
 既報のように、参議は、以前三年ほど、マナウス市に移住者として住んだことがある。そのころ、こどもたちが好んでいたという、グローボ系の番組からヒントを得て、黄色い啄木鳥(きつつき)をシンボル・マークとしている。自身の名刺に「ピカ・パウ」と刷り込み、ホーム・ページには「ヴァモス・ラー」と打ち込む。この日も胸に黄色い啄木鳥の縫いぐるみをつけていた。