沖縄県人移住=95周年記念行事を開催=具志堅大統領府広報局長官も出席=稲嶺知事と県系トップ会談=伝統行事カジマヤーも

8月26日(火)

 ブラジル沖縄県人会(宮城調智会長)の県人移住九十五周年記念行事が二十三、二十四の両日、同県人会大サロンをメイン会場にサンパウロ市内各所であった。会場には稲嶺恵一・沖縄県知事夫妻、伊良皆高吉・同県議会議長、仲宗根正和・沖縄市長ら母県から約二百人が来伯、ブラジルからは日系団体関係者ほか、具志堅ルイス・大統領府広報局長官夫妻らが出席。そのほか、全国各支部から最多で約千三百人が来場、両国にまたがる県系人の絆を確かめ合う人々の熱気に包まれた。

 二十三日午前は先亡者追悼慰霊法要が同サロンであり、二百五十人以上の関係者が出席、ソーザ孤円導師(曹洞宗)の読経のもと先人たちを偲んだ。午後からは同サロンでブラジル沖縄県人柔道大会があったほか、ガルボン・ブエノ街で祝賀パレードが行なわれた。パレードには約千三百人が参集、芸能団体らが演奏するなか、数えで百二歳の上地マツさん(名護市、旧羽地村出身)を含め九十五歳以上のお年寄りが風車を手にクラシックカーで練り歩く沖縄伝統行事「カジマヤー」が注目された。
 二十四日は式典に先がけて、稲嶺県知事と具志堅長官の両夫妻の会談が同県人会会長室であった。稲嶺、具志堅の両氏とも父祖の故郷は本部町とあって、すぐに意気投合。ブラジル内での県系人の活躍ぶりや沖縄文化について、ざっくばらんに語り合った。稲嶺知事は、今月末に開かれる第一回世界ウチナーンチュ会議(米国ハワイ州)に触れ、「いつか、世界の沖縄県系人をつなげてビジネスをしたい」と意欲を見せていた。
 式典は午前九時すぎ、サンパウロ軍警バンド演奏のもと、日伯両国の国家斉唱で開幕した。与儀昭雄・式典副委員長が開式を宣言後、宮城会長(式典委員長)が、県系人移民九十五年の歴史を振り返り、「ウチナーンチュ(沖縄県人)の心を受け継いでいきたい」と、式辞を述べた。
 来ひん祝辞では、稲嶺県知事が「ブラジルにおいて、政治・経済・教育・文化など各分野で活躍している県系人を誇りに思う」とあいさつ。沖縄県系人の具志堅長官は「今日は無礼講で」と上着のボタンをはずし、和やかな雰囲気のなか、「日系人は正直で勤勉といわれている。政治家として日系人全体、沖縄のことを思い、ブラジル社会に貢献していきたい」と熱弁を奮った。具志堅長官のあいさつ後、父親、具志堅昌栄さん(八三)も壇上にあがり、喝采を浴びた。
 続いて、県知事から功労者二十人への表彰、県人会から高齢者百五十六人への記念品贈呈があった。功労賞受賞者を代表して宮平ペードロ修革さん(七三、元スザノ市長)、高齢者表彰受賞者代表の山口栄三さん(九〇)、県費留学・研修生を代表して登川イレーネさん(二〇〇二年度県費研修生)が謝辞を述べた。登川さんは、一九七〇年以降、県費留学生七十二人、同研修生二十三人、〇一年スタディーツアーで十人が母県を訪問したことを報告、「県民の暖かい心、豊かな自然に囲まれ、祖父母の生まれ島で学べたことを嬉しく思う。学んだものを今後、ブラジルで役立てたい」と抱負を語った。
 式典後、九十五周年祝賀芸能公演があり、琉舞道場九団体が二十三演目を披露、記念行事に華を添えた。