日伯サッカー交流に貢献=柴田教授に名誉市民章=中高生ら1000人をブラジルに=5人がJリーグ入り

10月1日(水)

 サッカー通じた日伯の文化交流に貢献――。札幌大学名誉教授の柴田勗さん(つとむ、七〇歳)が、このほどサンパウロ名誉市民章を授かった。約三十年に渡ってブラジルサッカー研究を続ける一方、日伯の若者の相互交流に尽力したことが高く評価された。一九九二年からの留学期間中に滞在したアルモニア学生寮の五十周年式典で、柴田さんはジョルジ羽藤・サンパウロ市議から名誉市民章を受章。「地道な取り組みを評価していただいた。これから一層、文化交流に力を入れたい」と喜びを語った。

 柴田さんは一九三三年、北海道出身。ブラジルで盛んな室内サッカー(サロンフットボール)を日本に初めて導入したことや、自ら率いる札幌大学サッカー部に最初にブラジル人留学生を招いたことで知られる。
 きっかけは、日系人選手だった。
 六七年に日本に渡り、日本サッカー界の外国籍第一号選手となったネルソン吉村を擁するヤンマーが、七二年に札幌市内で合宿。雪のため、屋外で練習できず体育館内で練習をするネルソンやジョルジ小林ら日系人のボール捌きを目の当たりにした柴田さんは衝撃を受けた。
 「このボール扱いは何だ」。日本人と同じ顔をした民族が、ブラジルならではの技術を披露することが驚きだった。「まさに目から鱗でした。どうしたらこういう選手を育てられるのか」と柴田さんの目が、ブラジルに向いた。
 日本にもこの技術を導入したい、と柴田さんは「源流」となるブラジルを七三年に訪問。室内サッカーのノウハウを学び、札幌に持ち帰った。
 また、部員らの手本にしたいと七三年には同大学に留学制度を設け、二人の日系人を留学させている。雪国のハンディを室内サッカーで克服した同大学は七八年の天皇杯で社会人の名門、新日鉄と読売クラブを破り見事八強入りを果たしている。
 監督業を退いた後も、柴田さんはブラジルサッカーの神髄を見極めたいと、九二年からサンパウロ州立大学(USP)に一年間留学。お互いの子供の留学などを通じて親交を深めていたアルモニア学生寮長の渡辺次雄さんを頼って、同学生寮に滞在した。
 また、留学中に研究したポルトガル語のサッカー用語や国内クラブをまとめた「ブラジルサッカー総覧」を二〇〇一年に出版。「言葉の中に、ブラジルのサッカー文化が集約されている」と柴田さんは語る。
 現在、柴田さんは代表を務める「サンパウロサッカー訓練センター」を通じて中学・高校生青少年にブラジルサッカーに触れる機会を与えている。アルモニア文化スポーツセンターの協力を得て、毎年三月にサンパウロユース選手権を実施。サンパウロやパルメイラス、コリンチアンスなどの名門クラブの下部組織と、日本の高校生らが対戦。伸び盛りの選手に刺激を与えているという。
 これまでに約千人の選手が来伯。Jリーグ入りした選手も五人いる。「日本のサッカー界のためにも底辺の充実は欠かせない。こうした交流がその一端を担うはず」と柴田さんは今後も、青少年の交流に力を入れるつもりだ。
 将来的にはサッカーのプロクラブを頂点とした総合スポーツクラブを、北海道に創設したい、と柴田さんは意気込む。「文化として根付いたブラジルサッカーは、様々な見本になる」
 十六回に上る来伯歴も、まだまだ増えそうだ。