コラム 樹海

 さきごろ、本紙は(六面連載で)元日本語学校連合会の指導者の一人、朝川甚三郎さん(故人)の再評価を行った▼同氏は生前「戦後のブラジルの日本語教育は戦勝派によって守られた」と主張していた。終戦直後、非戦勝派の一部が「従来の日本」をほとんど否定するような言動をとったことを考慮するとき、同氏の主張は正しかったと評価できる▼朝川さんは、自身が経営する学校ではもちろん、日本語学校での体罰を許容し、いわゆる躾(しつけ)を日本語教育と併せて行っていた。こうした教育、導き方があって、今日の二、三世の日本語があるということを、嫌でも忘れてはなるまい▼さきごろ、百歳の誕生日を卒業・同窓生に祝ってもらった、赤間みちへさんの赤間学院は、朝川さんの昭和学院より歴史が長く、戦前から存続してきているが、創立当時の校是といったものは、昭和学院と根っこが同じといっていい。赤間さんの場合、女子教育で、良妻賢母育成を目指した▼儒教的な躾をしてほしい、子をもつ親たちは、地方から競うように遊学させたのであった。戦後のある時期、昭和学院が「外国語としての日本語教育」を拒んだとき、赤間学院はブラジル学校化をすすめ、成功した。朝川さんは、自身に一番忠実に生き、行き詰まった▼日本語教育を外国語教育としてとらえるのは、今や主流であり、異論をはさめば異端視される。それが趨勢である。だが、これも〃絶対〃ではあるまい。未来永劫続くとは断言できない。  (神)

03/10/03