史料館の〝生き字引〟退職=中山さん75歳、定年制で=コツコツと資料の整理=好企画だった特別展

10月24日(金)

 「二一年、おかしいな…」ブラジル独立百年祭を記念して来伯した、南米視察実業団の絵葉書の数字を見て呟いた(正確には二二年)。十七年間資料を見つづけ鍛えたカンが、小さな間違いを自然と探し当てる。積み重ねた経験を感じさせる場面だった。今年から文協は七十歳定年制を導入している。副館長として、移民史料館を支えた中山保巳副館長(七五)が二十三日付けで退職した。
 中山副館長は、チエテ移住地のぺレイラ・バレットに移住、父は自営農だった。昭和五十年頃に、サンパウロに移住し、日伯毎日新聞などで働き、最後はラッパの写真屋に落ち着いた。カラー化されていく業界に見きりを付け、史料館職員募集の記事を邦字紙で発見。八六年九月に採用され、以後、資料の整理や特別展などの主力となって活躍した。各地で開く展示や、「植民地の生活展」「医療機具と衛生展」などの特別展は中山副館長の業績の一つだ。
 史料館には、家族の名簿を探しに来る来訪者が多い。「指をなめながら、何日もかかって名簿を探していた」と大井セリア館長。誠意ある人柄を感じさせる。本人も「本や資料を整理していると、面白くて横道にそれてしまう」と好奇心旺盛な人柄も垣間見られる。
 イビラプエラ・ベテラーノ陸上クラブで、週に一回ほど歩いて健康増進に励んでいる。引退後の予定は「全く考えていない」との回答だが。「また、毎日史料館の宝物を探しに来てください」と勧める大井館長の言葉から、その能力を惜しむ声も強い。
 史料館にある文書資料が三万五千四百八点で、展示されている資料が二千点あまり。「資料の有効活用をはかって欲しい」と漏らす。十七年間の重みを持った言葉だった。