南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(1)パラグアイ・イグアスー移住地=梅のないところのチエ=国境を越えて「花梅」
10月30日(木)
自称〃放浪の料理人コータ〃(羽熊広太さん)は、各国の食の文化を調べながら、二〇〇二年九月より一年間、中南米十八カ国を回った。その時、各地で滞在した日系移住地で、日本の伝統的な加工食や、現地の食材を上手く利用した食品に出会った。そこから日本人の食に対するこだわりや郷愁をうかがうことができた。以下はそれらの紹介である。
四月中旬、大豆の収穫期も終わりに近づいたイグアスー移住地に滞在していた。ちょっと仕事を終えた昼下がり、堤広行さん(七五年熊本より移住)とテレレ(冷たいマテ茶)をしていた。
アルゼンチン、ウルグアイなどでは熱水のマテを飲む。まず主人が飲み、次に客人に回していく。主人と労働者、友人、家族、これを飲むときだけは一つの容器を回して飲む。口を拭いたりするのも礼儀に反する。
日本的に言うと、同じ釜の飯を食らうという仲間感覚が生じる。何よりもゆっくり容器を回し飲みしながら話を楽しむという行為が重要に思える。昼下がりや農作業の合間に甘いものをつつきながら飲む日本の緑茶の習慣と同じ感じである。時間のゆっくり流れるパラグアイのテレレの習慣が、日系移民の人々にも緑茶の習慣のように受け入れられたのであろう。
「ここでは何を植えても水をちゃんとやりさえすればよく育つ。土が非常にいいのです」と、アスンシオンの野菜農家の柴田隆一(七一年移住、福岡)さんは言う。現に、彼の農場はみずみずしい野菜であふれていた。「食料に困らないので、グァラニー族などの人たちは元来のんびり豊かに暮らしてきた」ともいわれる。
さて、イグアスー移住地では大豆の産地ということもあり、家庭で納豆や味噌があたりまえに作られる。日本では漬物ですら、コンビニで買う時代になり、家庭で手作りというのが残念ながら少なくなってしまった。逆にこういった移住地の方が、日本の昔ながらの手作り加工食品に出会うことができる。
日本酒の造り方ですら、移住地誌に見つけることができた。その作り方も正確で、食品科学的に見ても利にかなっていた。日本では酒税法の規制もあり、日本酒造りの本はまず見つからない。
ある漬物を紹介したい。私が中米グアテマラで食品加工を教えていたとき、在住の日系人に教わった漬物である。Rosa de Jamaicaロサ・デ・ハマイカと呼ばれるハイビスカスの一種を塩漬けにしたものである。梅が無く、日本食材の高いグアテマラでは日本人に人気があった。独自のアイディアだと思い、『グアテマラ梅干』と呼んでいた。
しかし、南米のイグアスーの日系人の家庭で昼食を頂いたとき、まさに同じものが出てきた。聞くと、同じ作り方で、ここでは『イグアス梅』と呼ばれていた。ブラジルではGroselhaであり『花梅』と呼ばれていた。国境を越える日本人の食への追求心の強さを感じた。(つづく)
■羽熊広太さん■ 九八年東京農大農化卒業、九九年豪州のホテルの料理人になる。〇〇年年青年海外協力隊食品加工アドバイザーとしてグアテマラで活動。〇二年から中南米の旅。