初訪日が50年~86年ぶりだった=海外日系人協会が招いた17人=無常感じ〝途中〟帰伯の人も=「声を失くしても嬉しかった」

10月31日(金)

 海外日系人協会は、さきに第三十六次海外日系人訪日団十七人を日本に招いた。一行の全員が、五十年~八十六年ぶりの初訪日(初里帰り)だった。およそ一カ月滞日、引き受けの親戚の人たちと交歓、自身にとって懐かしい場所、土地を訪ねて歩いた。団員のなかには、時の移ろいのあまりの無常さに、日本を見て回ろうという気力をなくし、予定を短縮して帰国した人もいた。日系人協会の近着の会報『移住家族』は、一行の何人かの日本での言動を伝えている。
 訪日団十七人の内訳は、ブラジル十五人、アルゼンチン一人、ペルー一人だった。『移住家族』は「それぞれのふるさと、日本」と題し、団長福本真澄さん(七二)らの発言、動きを紹介した。
 ◇福本真澄さん(七二、大分県出身)
 三四年、三歳で移住。六十九年ぶりの訪日。これまで二度訪日団に応募したが、自分より高齢の人が優先されたため、機会を逃し、今回三度目の〃挑戦〃で訪日がかなった。「親戚との再会を果たしたあとは、故郷に残った先祖の墓をどうするか相談する」。
 ◇山崎弘さん(八三、鳥取県出身)、マサノさん(七七、山形県出身)
 夫婦は、それぞれ八歳で渡伯。弘さんは数年前病気でのどを痛め、発声ができなくなった。マサノさんが「(夫は)話をすることができなくても、従妹と会うことができるだけで十分なんです」。
 ◇宮田昭夫さん(七五、神奈川県出身)
 六十七年ぶりの帰国。「母方のいとことも会えたし、思い出の場所もいくつか案内してもらった。これ以上、迷惑はかけられない」。
 六十七年間ふれることがなかった日本と日本人は、宮田さんにとって、あまりにも変わっていた。無常を(人の世ははかない、と)感じた。一カ月も滞在する気持ちをなくした。予定を早めて帰国することにした。『移住家族』の編集者がたずねた。「本当に心残りはないか」。宮田さんは「通った小学校をもう一度見てみたい」。
 横浜市立滝頭小学校の小学校で歴代校長の写真のなかから、当時の校長の写真を見い出した。「昔はね、校舎のまえはずっと空き地だった(いまは家がぎっしり)。ここから見る山の風景は昔と変わらない…」。
 ◇森田静恵さん(八〇、福岡県出身)
 七歳で渡伯。七十三年ぶりの里帰り。「(ブラジルで)学校に行けるのは、雨が降って農作業ができない日だけ。雨の日はもう嬉しくて、嬉しくて」。初里帰りに「なんだか夢を見ているみたいな気持ちなんです」。
 ◇河合勝彦さん(五九、鳥取県出身)
 十歳のとき、トメアスーに入植した戦後移民。約五十年ぶりの日本。「鳥取に帰ったら、小さいころに歩いた場所をもう一度歩いてみたい。もう家はないけれど、あった場所を訪ねるつもり。小学校の同級生に会えたらいいな」。