国際日本文化研究センター=井上章一さんブラジルを語る=「反」フェミニズムに共感=コロニアに残る日本国家

11月29日(土)

 扱うテーマは桂離宮からパンチラまで、日本の文化風俗史の常識、価値観をゆさぶる著作の多い国際日本文化研究センター助教授の井上章一さん(四八)が十九日からの七日間、ブラジルに滞在した。井上さんといえば、一般に語られる〝公式〟以外の部分に目を向ける「ローアングルの視線」がつとに有名。いつもあっと驚く観点から鮮やかに事象に斬りこみ論じてくれる。今回、その俎上に載ったのは六年ぶり二度目となるブラジル。井上さんが目撃したものとは、考えたこととは―。リオで話を聞いた。
 
 京都出身らしいやわらかな語り口、絶妙なユーモア。専門は建築史、意匠論だが、「美人・はだか・男女交際」を柱にした風俗史分野での仕事も目立つ。近著「パンツが見える。」では羞恥心の現代史に迫った。
 「ブラジルはオヘソを出す女性が多いですね。腹の出たオバサンまで。聞けば、夫が毎日きれいだよ、とささやくのがこの国だとのこと。羞恥心どころか、あれでも自分の美しさに自負心を持っているわけですね」と感心する。
 男性が抱く羞恥心のひとつに頭髪の薄いことがある。井上さんをポルトガル音楽ファドのショーへ案内してくれたブラジル人男性も髪が薄かった。しかし、初対面から臆することなく髪の話をしてくる。「ぼくのような男性がブラジルではもてる」と。
 井上さんもその目で実際に事実を確認した。
 「歌手が客席に降りてきてはハゲばかり選んでキスするのです。隣の案内人が勝ち誇った様子。このとき、ああ、育毛剤に気を取られる日本のオジサンは気の毒だな、と思いました」
 ハゲはもてる。うえに、男性はオジサンも含めて女性に対しいやらしい視線を送り放題のブラジル。
 一般にハゲは敬遠され、ちょっとした振舞いにもセクハラのレッテルを貼る昨今の日本とは大違いだ。ブラジルには果たしてセクハラが存在するのか―。井上さんは自問自答する。
 「セクハラとして嫌がられるのは極端かもしれませんがそれが犯罪行為になってからでは」。さらに、「アメリカ発のフェミニズムが世界を覆うなか、ブラジルという大国にはそのグローバリズムに対する最後の防波堤としての役割が期待される」と真顔で続ける。
 一方、短い滞在期間にもブラジル人女性のしたたかな面を読み取ったようだ。例えば、女の子に対する母親の教育。
 「少々のオジサンなら手玉にとってやれという感じの教育を受けている気がします。日本人はこれに対し『箱入り教育』ですから」
 胸にはワッペンのようなもの張り、下はヒモからなる水着。おおっぴらなエロチズム。「ええ国だと思いますよ、本当に。ただ、由緒正しい日本人移民のオバサンにはキツイのでは。ヒモではよう泳がへん、と。ところで、日系二世の女性もああいった水着を着用するのでしょうか。それとも日本人の羞恥心が残っているのでしょうか」
 話題はブラジルの日本人、日本文化へと及ぶ。世界中の日本文化を研究するチームが国際日本文化センターには存在する。井上さんもその一員だ。
 もともと日本にあったものが外国に伝播、現地の価値観で変化し外れていくところが面白い、という。
 今回、目を見張ったのは「招き猫」の激増ぶり。「手の下がり具合からブラジルではゲイの象徴らしい。手招きの仕草が日本と逆ですからね」
 さらに、時と場所を違えて外れていく日本文化の一例として、随分甘く加工されているブラジルのしょうゆも挙げる。「ただし、甘いのは、移住が盛んだった当時の日本のしょうゆが甘かったのかもしれない」
 ほぼ失われてしまっている日本文化もある。住居内の上下足分離の文化がそれだ。しかし、土足間であってもきちんとご真影を奉る、その大和魂の発揮ぶりには心揺さぶられる、という。
 地方の移住者が多いにも関わらず、移住社会で話されている言葉がほぼ標準語であることに井上さんは違和感を覚えたそうだ。
 「沖縄の人まで標準語。こういったら語弊がありますが、ここにきて沖縄の人は日本人になったのかな、と。いずれにせよ、失われていないのは国家イデオロギー色の強いもので、生活文化を失われやすい、そんな感慨を抱きました」。
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 井上章一(いのうえ・しょういち) 一九五五年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。一九八七年より国際日本文化研究センター助教授。一九八六年「つくられた桂離宮神話」(弘文堂)でサントリー学芸賞、一九九八年「南蛮幻想」(文芸春秋)で芸術選奨文部大臣賞受賞。ほか著書に」一九九九年「愛の空間」(角川書店)、二〇〇三年「あと一球の精神史―阪神ファンとして生きる意味」(太田出版)など多数ある。