「弓場農場は元気です」=抵当問題乗り越え=NGOとして再出発=常雄さんが会長就任

1月20日(火)

 「たくさんの人にご心配かけました。弓場は元気です」。昨年九月に亡くなった哲彦さんに代わり、弓場農場の代表者となった弓場常雄ルイスさん(五〇)は十六日午前来社し、そう語った。「祈ること、耕すこと、芸術すること」をモットーに、一九三三年に故・弓場勇さんらによって始められたこの農場は、昨年三月に日本のTBSのテレビ番組「ウルルン滞在記」でも紹介されるなど、日伯に多くのファンがいることで知られる。

 弓場農場では現在、勇氏の思想に共鳴した約七十人が共同生活を送っている。一九五〇年頃には二百人以上の人が暮らしていた。ゴイアバ、かぼちゃ、マンジョッカ、しいたけ、果実などを作りながら、バレエや演劇などの芸術・文化活動を取り入れた、独自の生活スタイルを続けている。通算の公演回数は七百回を超え、国内各地はもちろん、日本にも行った。
 常雄さんは勇さんの甥にあたり、同農場で生まれ育った。常雄さんの父・稔さんは勇さんの次男だ。
 一昨年、近隣の農協工場が振り出した小切手の連帯保証人となったことが発端で、土地の約半分が銀行の抵当に入り競売にかけられるなど、経営上の問題を抱えてきた。しかし、地道に銀行との交渉を続けた結果、抵当から外すことができ、農場は元通りになった、と報告する。
 と同時に、農場代表者が全責任を負うそれまでの経営方式を改め、昨年一月にイサム・ユバ協会を立上げ、役割分担して経営にあたる方法に変更した。同九月に代表だった哲彦さんが亡くなり、十月十六日にその協会を、コムニダーデ・ユバ協会と改名し、NGO団体となった。その団体の会長として就任したのが、常雄さんだ。
 同農場の顧問弁護士、中川眞さんによれば、今年二月に同協会の臨時総会を行い、連邦政府が公認する団体登録を持つNGO団体(非政府公益団体)にする予定。会長ら執行部の任期は二年で、常雄さんは主に経済問題を担当してきた。運営面では、毎月ごと収支を出すなどの改善策も講じられた。
 常雄さんは、「たくさんの人に心配をかけてしまいましたが、弓場はまだまだ健在です。元気でやっています」と笑顔で語った。
 同農場(電話=18・3708・1247)では従来通り、滞在希望者やもっと知りたい人への門戸を開放している。