日本文化の伝承を考える(1)=個人を律する文化規範

1月23日(金)

 中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表(陶芸家)が、このほど本紙に「日本文化の伝承を考える」を投稿してきた。ブラジルにおける現状を見つめ、日本の場合と比較し、何をどのように伝えるかを考察し、独自の見解を述べている。つまるところ、形ある日本文化は創意と工夫によってブラジル流に合わせたらよい、人間関係の文化伝承は不可能である、とする。二十一回にわたって連載する。

 よく日本人を評して集団主義という。この言葉を聞く度に、アフリカの草原に棲息するシマウマの集団とライオンの個体を思い浮かべる。話は少し飛躍したが、日本の文化を個人主義に対する集団主義という概念でとらえると、日本特有の人間関係の全体像が浮かび上がってこない。
日本人は行動に主体性が見られず、個性がない同質的な民族であり、所属している集団・組織に埋没してしまう傾向が強いという見方がある。これは日本人がもつ人間関係のあり方より生ずる現象の側面を否定的にとらえた見方だろう。  太古より人類が集団を作って社会生活を営み始めるに従い、集団内で混乱が起きないように個人の行動を規制、あるいは抑制する社会における人間関係のあり方を形成してきた。つまり社会秩序を成立させる文化規範とも呼べるものを作りあげてきた。それは、日本のように、他の文化と接触の持ちにくい環境で形成されたものもあれば、世界の多くの文化がそうであるように、常に隣接する文化と競合し影響し合いながら形成されたものもある。
 互いに混乱の起こらない個と個、個と集団、集団と集団における人間関係のあり方というのは、社会の中に見られる原則で、お互いが知らず知らずの内に認識しあっている境界の曖昧なきまりのようなもので成り立っている。この人間関係のあり方の構造は、例えていうなら言語における文法のようなもの。文化人類学でいう社会構造で、個人の行動を規制、あるいは抑制する文化規範によって成り立っている。
 社会の秩序を維持する文化規範として、ユダヤ教系統(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)文化圏でいう宗教という形をとる場合もあれば、インドのように固定された階層をつくる場合もあれば、日本のように人間関係そのものの中に存在する場合もある。そして、社会の人口が多く密度が高いほど、社会の歴史が古いほどその文化規範の存在は強固である。
 古い時代、漢字が日本に入って来た時も、外来語が多く入って来ている現在でも、日本語の文法自体は変化していないのと同様に、明治の文明開化のとき、ヨーロッパの文化を取り入れたにもかかわらず、日本特有の伝統的な人間関係のあり方の基本は変わらず存続している。
 徳川時代の鎖国、幕末、明治維新、軍閥の時代、第2次世界大戦、敗戦からの復興、経済成長、バルブ崩壊、時代により肯定的に作用することもあればその反対に作用することもある、これらの時代を通じて変わらない日本人特有の文化規範、基本的な人間関係のあり方を把握することから日本文化を再確認し、何をどのように伝えるのか、日本文化の伝承を考え直してみたい。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)