日本文化の伝承を考える(2)=カルチャーショック

1月24日(土)

 モンゴル出身の横綱・朝青龍の言動が横綱にふさわしくないと、いろいろマスコミに叩かれている。ブラジルにいる私達から見れば、そんなことまで突っついてとやかく言うこともないのにと思うこともあるけれど。
 相撲もスポーツで実力の世界なのだが、相撲社会はそれだけではなく、横綱も随分とカルチャーショックを経験しているのだろう。ブラジルではRomarioのような選手でも、いろいろ問題を起こしながらも選手生活を全うしている。日本とはかなり違うようだ。
 ブラジルに来る以前、私は日本海外青年協力隊の一員として、中米エル・サルバドルに赴任していた。美術関係の仕事だったが、エル・サルバドルには体育の指導員もいて、彼らは、首都サン・サルバドルからかなり離れたところにある、教師も生徒も全寮制の体育学校で生活していた。学校には食堂があり、先生と生徒の食事するところが区別され、食事の中身も違っていて、初めてそれを見たとき奇異の感を抱いたことを覚えている。
 文化の違いによって生ずる問題を指してカルチャーショックという。日本語に訳せば「文化の衝突」となる。ある人が育った環境で無意識に身につけた習慣、考え方などを、他国で、その土地の人々に適用したときに起こる問題を指して言う。
 日本では、苦笑い、照れ隠しの笑いなどがあり、ブラジルに来た当初私はこれをやって、日系二世の婦人に「どうしてあなたは理由もないのに笑うのか」と言われ、ショックを受けた経験がある。また、隣の非日系ブラジル人が「小麦粉がないので、ちょっと貸してもらいたい」と頼むので貸してやれば、梨のつぶて、いつまで経っても返さないとか、家族同様親身になって面倒みてやった使用人に、辞めたとたんに労働法で訴えられた、などという話を人から聞いたことがある。この話には、使用人に裏切られたという気持ちが強く表れている。これらはカルチャーショックの一例だろう。
 人類はみな兄弟だから、話せばわかる、まごころさえあれば必ず分ってもらえる、と考えるのは大きな間違いだ。人類は、ホモ・サピエンスに進化してより、人類が増えるに従い社会を形づくってきた。そして、それぞれの社会で混乱が起きないように、各々の社会に適した独自の原則を創りあげてきた。カルチャーショックというのは、この原則に触れるときに起こる。文化伝承を考える場合、このカルチャーショックをいかに克服するかが問題となる。カルチャーショックは美術・音楽・スポーツなどの文化の違いによって起こるのでないことを強調しておきたい。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)