日本の若者ブラジルで将来を模索(6)=若山達也さん(25)=ブラジリアン柔術に魅せられる=日本に帰って道場を

3月31日(木)

  八〇年代から九〇年代、サッカー留学生がブラジルの技術習得を目指し次々と来伯した。現在、ブラジル在住のサッカージャーナリスト沢田啓明が言うように「最近では有望な選手は国内か、ヨーロッパに行く」のが現状だ。二〇〇〇年、これに変わって留学ブームになりつつあるのが、ブラジリアン柔術だ。柔術に魅せられた若者たちの姿を県人会で、あるいは格闘技雑誌で見かける事が多くなった。若山達也(二五、千葉県出身)もその若者の一人。昨年四月から来伯し、サンパウロ市アナ・ローザ区のアカデミアTTで日夜練習に励む。「日本に帰って道場を開く」。彼の夢だ。
 柔術界で二つのビッグゲームがある。七月にリオデジャネイロ州で行われるムンジアル(ブラジル柔術連盟)とコッパ・ド・ムンド(オリンピコ・ブラジル柔術連盟)。フェルナンド・テレレ選手は(二四)、黒帯ミドル級(七十九キロ以下級)で優勝した。九月、同じくリオ州のブラジレイロ03(ブラジル柔術連盟)では、無差別級で優勝。ブラジル柔術界は勿論、日本の総合格闘技界からも注目を集める選手だ。
 若山は、四月からテレレ選手の主催するアカデミアに白帯で入門した。当初、五つの道場を見学。「常設道場があり、活気があったこと」を選択理由としてあげる一方で、「テレレ自らが掃除をしていた」姿も決め手になった。「ここならしっかりしている」。
 午後十二時半、午後八時十五分からの二時間を月曜日から金曜日まで練習をこなした。地方大会ながら、プルーマ級(六十四キロ以下級)で優勝一回、準優勝一回と結果を出した。日本で一年半、ブラジルでおよそ半年を経て昨年十一月に青帯も手にした。
 「黒帯をとって、日本に道場を開きたい」。若山の思いが通じたのか、三月からテレレの誘いで三人の内弟子と共に道場に暮らすことになった。
 「テレレはいわゆる体育会系。竹刀をもって指導することもある」と明かす。掃除や料理とともに、事務作業や入門者の案内仕事もある。厳しい環境には違いない。
 しかし、内弟子には通常練習以外にも、テレレが直接指導する特別練習がある。住居費や練習費は無料で、食事代だけというメリットもある。「最初からこの生活をやりたかった」という若山には理想的だろう。
 大学卒業後、木更津自衛隊に勤務していたが「事務職をしていて、自分の先が見えてしまった」生活に嫌気がさしていた。もともとロックギターなどに傾倒していたが、自衛隊で体力がつくうちに格闘技に興味を持ったのが柔術と出会うきっかけ。「柔術は力がなくても技で翻弄できるのが魅力」と語る。その後、ブラジルで修行した馬場弘樹選手(黒帯)の仲介でブラジル行きを決意した。
 「小学生が学校の終わりに、通えるような楽しい道場を作りたい」と若山。「そうやって育った子どもたちが世界チャンピオンになってくれれば」。黒帯取得までには、「あと六、七年以上必要」と言われた。挑戦は続く。(敬称略)     (佐伯祐二記者)

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