コラム 樹海

 「銭湯」に初めて入ったのは中学生の頃で蓄膿症を手術し退院したときであった。もう五〇年ほども昔のことだが、あの高い天井とタイル張りの風呂桶の大きさに驚き、二十数人の男たちが賑やかに語らいながら大笑いしている和やかな風景にびっくりもした。そんな―江戸の頃から庶民に親しまれた銭湯が年々寂れているらしい▼東京オリンピックが開かれた一九六四年には全国で二万三〇一六軒もあったのに〇一年になると七八五一軒に減ってしまう。約三分の一の減少だから、これは異常に過ぎる。大きな理由は、各家庭に風呂場がつくようになり、最近は朝でも真夜中でも好きなときに入浴できるよな湯沸かし器が完備されるようになっている。昔のように薪を燃やして湯を沸かすようなこともなく電気かガスのスイッチを押すだけで風呂が沸いてしまう▼これはこれで大いに便利であり結構ながら大勢の人たちと語る喜びや大きな湯船の壁に掛かる壁画の楽しみが消えてしまうような寂しさもある。東京では「富士山と海に松」を軸にした絵が多いのだが、さて大阪や関西ではどんな絵柄なものか。東京では熱い湯がたぎったような浴槽があり粋なお年寄りが歯を食いしばって頑張っているのもいい。若いのは温湯派で手と足を思いっきり延ばしのんびり▼銭湯の良さは、この長閑な風趣である。タオルに石鹸を塗りたくっての垢落としも快適。手水湯も豊かで惜しげもなく使える心地よさ。そんな暮らしの文化が滅びようとしているのは寂しい。 (遯) 

04/04/01