戦後移民史 埋めた=坂田記念ジャーナリズム賞=アマゾン移民番組が受賞

4月3日(土)

 日本の関西を拠点にした優れた報道活動を顕彰する坂田記念ジャーナリズム賞の第十一回受賞作品が先月十五日に発表され、放送第二部門(国際交流・国際貢献)で、読売テレビ制作局の「さんとす丸の十七家族」が選ばれた。戦後ブラジル移民の先鞭として一九五三年、アマゾンに渡った五十四人の半世紀の足跡が描かれるとともに、外務省の移民行政などが浮き彫りにされた内容。「戦後移民史の空白を埋めた」点が評価された。
 「石川達三の『蒼氓』の世界が七十年たっても解決されていないことに唖然とし、言葉を失った」とは、選考委員会の選評だ。
 「しかるべき施策もないのに黄金郷の夢さえもたせ、アマゾン中流の町から二百キロも奥地の無医村へ送り込み、ノイローザ、果ては自殺にまで追い込んだとは。彼らは棄民たらざるを得ない。外務省はどういう企画を立て、施設を用意し、彼らの生活の便を図ったのか」
 「インタビューに出てくる役人の表情はするべきことをしていない能面。棄民の立場から権力者と行政のあり方を糾弾するのが文学であり、ジャーナリズム。この作品にはジャーナリズムの精神が生きている」
 日本の戦後南米移民船の就航は一九五二年から一九七三年までの二十一年間で、引き揚げ者、農業従事者、花嫁移民、戦争孤児らおよそ五万人が来伯した。うち約六千人がアマゾンへ。その先駆けとなったのが「さんとす丸」移民の五十四人だった。
 事前の調査不足から、食べるものも事欠くありさま。移民のほとんどは人跡未踏の〃緑の地獄〃で苦闘を強いられたが、その声は日本には届かなかった。
 これまで、公的機関による調査もなく、「戦後の日本史から消えていく恐れもあった」と、制作局の中川禎昭エグゼクティブプロデューサーは振り返る。
 番組製作に当たり、読売テレビでは〃幻の文集〃といわれていた船上での寄せ書き、移住者のアルバム、メモ、写真などを手がかりに、「さんとす丸」に乗り込んだ人々の苦闘の五十年を徹底的に取材した。
 戦後移民史の影に迫り、外務省を始めとする日本の移民行政を検証。その杜撰さを暴こうとする姿勢が番組には貫かれている。
 いまようやく戦後第一回ブラジル移民の実態に「坂田記念賞」という光が当てられた。
 中川さんは「われわれの取材に対して、重くつらい過去を明かしてくださった『さんとす丸』の乗船者のみなさんや、アマゾン各地でお世話になった多くの方々と喜びを分かち合いたい」と話している。