平安時代から続く由緒ある家系=これからもっと資料整理=毛利元就の血筋=ルーツさかのぼった毛利文男さん

4月6日(火)

 うちは平安時代から続く由緒ある家系でしたーー。大学者そして政治家としても知られた大江匡房(一〇四一─一一一一)を始祖に持つ人がブラジルにいる。タイヨーツールの創業者の一人、毛利文男さん(六九、二世)だ。戦国時代、中国地方一帯を勢力下に置いた毛利元就とも同じ血筋に当たるそう。
 「子供たちにきちんとルーツを残しておきたい」 そんな軽い気持ちで毛利文男さん(六九、二世)は先祖を調べ始めた。かれこれ数十年前のこと。本家(岐阜県大野郡)に頼んで、戸籍をはじめ家系図や家紋に関する資料を集めた。
 父、喜久男さん(故人)は兵役を免れようと思って、一九一七年、十八歳で渡米。ゼネラル・エレトリック社に入社した。
 その後、二二年にブラジルに派遣され、無声映画に音声をつける仕事に携わった。ブラジルが気に入ってそのまま、住み着いた。
 「移民ではなかったので、総領事館の名簿にも記されていなかった」と裏話も残る。自らの出自について、子供たちにほとんど口にしたことは無かったという。
 喜久男さんがブラジルでの始祖になることから、文男さんは家系図を残そうと思い立った。
 本家は代々、水無神社(岐阜県)の神主だった。祖父の姉は大正天皇の乳母として働いた。このほか、戊辰戦争に参戦、毒殺された先祖も。毛利さんは「今まで、知らなかったことが分かって、驚きました」と目を丸くする。
 匡房の子、広元は鎌倉幕府樹立の功臣だ。源頼朝の招きにより、京都から鎌倉に下り、公分所の別当(今の大蔵大臣に当たる)に就任、政務財政を司った。
 業績を評価されて、相模国毛利荘(神奈川県厚木市)を与えられた。四男季光が同地に居住し、荘名をとって苗字とした。
 孫の時親は室町幕府が開幕すると、一三三六年、自ら吉田荘(広島県高田郡)に入った。元成は時親から数えて十二代目に当たる。
 毛利家の家紋はオリオン座の中心に位置する三ツ星を形どったもの。「一文字に三ツ星」と呼ばれる。文男さんは山口県萩市の同家の墓を訪れ、本家と同一の家紋であること確認した。
 「墓碑には『元就大江奥陸守』と記されていました」と、同じ血筋に当たることに自信を深めた。
 現在、アルバムを製作中。毛利家の歴史や写真などを収めていく考えだ。文男さんは「まだまだ、膨大の資料を整理しきれないでいるんですが、きちんと仕上げたい」と張り切っている。
 ブラジル・ニッポン移住協会副会長。弟、連さんは援協常任理事。