「俳句」「短歌」よその国の事情(5)=俳句結社の交流図る=ロス、生命賭けた羽畑昭雄さん

7月3日(土)

  兵庫県姫路市に本部を置く俳句結社「田鶴(たづ)」の米国支部「USA田鶴の会」の創立一周年記念句会が昨年十一月、日本から「田鶴」の水田むつみ主宰を迎え、ロサンゼルスの日本人街で開かれた。集まったのはロサンゼルスを中心とする南カリフォルニアの俳句結社の代表を含む約三十人。普段あまり交流のない結社の代表らが一堂に会したのはきわめてまれで、これには「USA田鶴の会」の創立と運営で尽力した羽畑昭雄さんの功績が大きかった。羽畑さんはいくつかの結社に加わり、俳句結社同士による新企画のために奔走していたのだ。記念句会の約半年前に膵臓がんがみつかり、「余命三カ月」の宣告を受けていたにもかかわらずである。その羽畑さんは今年二月に六十一歳という「若さ」で他界したが、残した辞世の句はいまだに多くの人たちの心を揺るがしている。
 羽畑さんは現在の北朝鮮清津(せいしん)生まれ。郷里和歌山に引き揚げた後、一九五六年に家族とともに渡米した。庭園業に携わり、俳句を始めたのは一九九一年。「橘吟社」(ロサンゼルス)に加わった。その一年前に俳句を始めていた妻の幸子さんから「夫婦で一緒にできるものを」と勧められての入会だったが、もともと読書好きの羽畑さんは熱心に俳句を作り続けた。その後、他の結社「すずめ鷹」(同)にも参加。幸子さんによると、「感じたものを言葉に表すことによって、気持ちの整理ができる」と、俳句に大きな魅力を感じていたという。
 羽畑さんが「USA田鶴の会」の設立に情熱を傾けるようになったのは、二年前に開かれた「橘」創立八十年の式典で水田さんと出会ったことだった。「橘」の会員数人が「田鶴」に投句していたことから、水田さんが式典に出席するため渡米。話しているうちに、奇遇にも、羽畑さんと水田さんとは生まれた年と所が同じと分かったのだ。「これは何かの縁」と意気投合し、「田鶴」の米国支部の話はとんとん拍子に進んだ。羽畑さんはそこに、米国の結社同士の横のつながりも求めた。
 ロサンゼルス地区の俳句結社としては「橘」や「すずめ鷹」の他、「時鳥(ほととぎす)俳句会」があり、サンディエゴ地区にも「秋桜俳句会」「フォー・シーズン俳句クラス」「鷹の子俳句会」があって、毎月の句会をはじめ、それぞれ活動は結構活発。しかし、歴史的な経緯、系統の違いなどで、なかなか相互に交流することが少ないのが現状という。羽畑さんは「これでは俳句の発展によくない」と憂慮。後継者の育成も考え、結社の代表が交替で選をして地元の新聞紙上に作品を発表する「子供俳句」の実現に奔走していたのだった。
 羽畑さんの葬儀は小雨降る中、日系の葬儀社で行われた。「USA田鶴の会」創立一周年の時と同じく、多くの結社の代表と会員が参列。席上、羽畑さんが最後の十カ月に残した句が印刷物で紹介され、また、水田さんが寄せた弔句をはじめ、それぞれの結社の代表や会員らの弔句が静かに読み上げられた。魂に沁みいるような一句一句。
 「子供俳句」についてはその後、実現に向けての話が徐々に膨らんできている。羽畑さんの「夢」の実現も、そう遠い話ではないかもしれない。(長島)

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