給料、日本の2-3倍=60年代後半の技術移民=「通信拡張」で貢献=スタンダード・エレクトリク社呼び寄せ「星座の会」35周年、旧交温める

7月13日(火)

  「実りを照らすブラジルで星座の会は栄え行く」。スタンダード・エレクトリク社(リオデジャネイロ)の呼び寄せで、ブラジルに渡った技術移民の渡伯三十五周年記念式典が十日、サンパウロ市リベルダーデ区の岩手県人会会館であった。家族も含めて約五十人が出席、旧交を温めた。
 六四年に樹立したブラジルの軍事政権。インフレ抑制と経済成長の両立を目指し、外貨の導入、金融の引き締めなどの政策を掲げた。その中で、通信拡張計画が打ち出される。
 電話交換機の製造メーカーは、取り付け工事までを義務付けられることになり、専門技術者がいることになった。スタンダード社は、戦後最高の好況(イザナギ景気)に沸く日本に注目。実戦力の強化に乗り出した。
 「給与が日本の二~三倍で、その待遇は魅力でした」。山崎正美さん(71、京都府出身)は応募動機を語る。家族と共に、移民船で渡航するつもりだった。会社側が、一カ月も待っていられないと要求。一人空路でリオに向かった。
 六八年十二月の第一便から七〇年五月の第十五便まで七十五人。その中間である六九年を基準に、今年が三十五周年になった。
 移住者によって、契約期間は異なる。山崎さんは、搭乗前に、一年契約であることを知らされた。「最初は妻にも、言えませんでした。日本では終身雇用だったので…」。
 田中公さん(62、福岡県出身)は都築電気に勤務していた。日本でのサラリーマン生活に失望。海外に活躍の場を求め、第一便できた。「一万回線のシステムを開局するまでに二年かかっていました。私たちは、それを半年に縮めた」と胸を張る。
 諸般の事情から、半数近くが日本に帰国した。連絡の取れない人や故人を除くと、ブラジル在住者は、二十八人。
 進出企業の従業員から会社経営者、食堂の店主など、今の仕事は様々だ。文協や援協など日系団体に入った人も。八二年に「星座の会」を立ち上げ、親睦を図っている。
 式では物故者四人に追悼した後、ブッフェの食事をとり、昔話に花を咲かせた。