「移民」としての一ヵ月=ドラマ「ハルとナツ」の米倉さんが帰国会見=苦労や団結力 身に染みた

7月15日(木)

  五月二十三日の撮影開始以来、寒波に襲われるなど天候不順に悩まされていたブラジルロケを救ったのは「晴れ女」米倉涼子さんだったーー。NHKドラマ「ハルとナツ」(〇五年秋日本放映)の会見が十三日、サンパウロ市内のブラジル日本文化協会で行なわれ、ヒロインのハル役を演じる女優の米倉涼子さんと、同局エグゼクティブ・プロデューサーの阿部健彦さんがブラジルロケの日々を振り返った。「六月十三日に米倉さんが来てから雨の日は一日だけ。海外ロケの割には順調にいった。ほぼ成功かな。彼女は『晴れ女』」と、阿部さんは幸運の女神を持ち上げた。この日、米倉さんの装いは黒一色。体の線を強調する胸元の開いたトップ、タイトなパンツの腰にはシルバーの鎖が巻かれていた。元モデルらしい抜群のプロポーション。誰の目にも「ブラジル移民女性」には映らない?取材陣もあぜんの〃悩殺〃会見となった。
 カンピーナス市内の東山農場を中心としたブラジルでの収録も今週一杯でつつがなく終わる予定。ただ、ロケ入り直後、二週間ばかり続いた異常気象には頭を悩まされた。スタッフは防寒具を買いに走り、出演者は待ち時間に毛布を手放せなかった。「本当にブラジルに来たのかよ」。凍える寒さに、そんな罵声さえ飛び交う現場。だが、阿部さんは、過酷な状況下で「逆にスタッフ、俳優の結束が強まった」と想い起こす。
 予期せぬ悪天候に、厳しい撮影スケジュール。現場の煮詰まる空気を変えたのは、ひとり米倉さんだけでない、七、八百人にも上った日系エキストラたちも一役買った。「みなさんの明るさが応援となり、大変な撮影を乗り切れた」と感謝する。
 米倉さんも「直接お会いできた方は限られましたが、それ以外の多くの方にも支えられていたのだと時が経つほどヒシヒシ感じている」と言葉に力がこもった。
 来伯して間もなく風邪でダウンしたという米倉さん。見知らぬ土地で三日間ほど寝込んだときには、演技面にも心理的不安が生まれた。「わたしのハル」がなかなか見つからなかったためだ。子役の斉藤奈々さんが九歳から十二歳、米倉さんが十六歳から五十五歳までを演じる設定。「(二人の演技が)うまくかみ合わないと視聴者の皆さんの中で成立しないのではと心配した」。
 約一ヶ月間にわたった収録で特に印象に残っているシーンについては、「選りすぐりを集めたドラマなので選ぶのは難しいですね」。そう語った上で、日本人移住者がブラジルの土と共に歩んだことを物語る一幕を挙げた。農業で成功を収めたハルの一家、日本に帰国する日もすぐそこまで迫っていた。その矢先、日米が急遽開戦。一家の淡い希望は霧散し、畑も売りさばくことになる。
 「開墾して種を植えるなどすべての愛をかけてきた土地。帰国の夢が破れそれさえも手放さなければいけなくなってしまう。あと一歩というところですべてが台無しとなる場面です。涙、涙ではないが、さりげない描写だからこそ、感動が滲みました」。
 午前三時半にホテルを出発、撮影が一日十五時間に及んだときもあったほど、熱を入れて「移民女性」を演じ切った。来伯前、関連資料には一通り目を通したが、「ブラジルでの苦労や、移民の団結力は、ここにきて初めて感じられるようになった。綿の花の咲き方も、このドラマをやらなければ分からなかったなぁ」と笑顔を見せた。
 日本での制作発表で「ハルはタフな女性で、前向き、一生懸命に土を踏んで生きる女性。そのような女性になって日本に帰って来れたらいいな」と語っていた米倉さん。ブラジルの赤土にまみれた日々を経て、その美しさには、凛とした魅力が加わっていた。
 会見には、文協の上原幸啓会長、ドラマ制作支援委員会の小川彰夫委員長も同席。撮影は今後、東京のスタジオや北海道などで行なわれ、来年五月まで続く。
 

ブラジルでの放映=「グローボも含めて交渉」
 
 ブラジルの有力紙でドラマ「ハルとナツ」が〇六年にもTVクルツーラで放映される見込みなどと報道されたことについて、プロデューサーの阿部さんは会見で「基本的にはドラマ完成後の話になる。現段階ではどの局とも正式交渉には至っていない」と否定。
 もしブラジルで放映される場合には、より多くの視聴者に見てもらいたいとの希望から、「グローボを含めた各局との交渉を考えている」と明かした。