広島市被爆から59年=被爆者協会きのう犠牲者に鎮魂の祈り=健康管理手当て手続き=居住国でできるよう訴え

8月7日(土)

  広島市は原爆投下から今月六日で、五十九回忌を迎えた。同日午前八時から、サンパウロ市シャカラ・イングレーザ区の西本願寺で原爆被爆者の追悼法要が営まれ、地球の反対側ブラジルからも犠牲者に鎮魂の祈りを捧げられた。主催は在ブラジル原爆被爆者協会(森田隆会長)。健康管理手当ての手続きが居住国で可能となるよう、これからも国に訴えかけていくことが確認された。
 午前八時十五分。平和の鐘が鳴り響くと、出席者約三十人は手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。松峯慈晄本派本願寺ブラジル別院副輪番が読経する中で、それぞれ焼香した。
 同協会の会員は百三十五人。昨年以降、二人が亡くなった。日本から医師団が派遣された時、いずれも医師が往診。症状が重いと判断された。「国から具体的な援助を受けられないまま」(森田会長)、今年五月~六月にかけ相次いで死去した。
 「床下の防空壕で、焼け死んだ夫の遺骨を拾いました。あくる日、歯から金の詰め物がなくなっているのに気付いた。出来ればもう一度、夫に会いたかった」。渡辺淳子理事は、ブラジルに在住する女性被爆者が綴った文を紹介。会場の涙を誘っていた。
 あいさつに立った森田会長は広島での式典に触れ、「NHKに沼田さんという足を失った女性が登場していました。彼女は、平和運動に熱心で在外被爆者を支援してくれる重要な人なんです」と述べた。
 盆子原国彦理事はマスコミ向けに発表したメッセージを読み上げた。「政府の援護が受けられるようになったけど、本当の意味での救済には程遠いのが現状」と在外被爆者の立場を再認識。
 その上で「在外公館内で、被爆者手帳と手当て支給のための書類受付を実施してくれるよう関係官庁にお願いしたが、今年も検討中という返事を受け取り失望よりも怒りさえ感じています」と訴えた。