コロニア再統合のシンボル=日本館建設から50年=14日イビラプエラで式典=「移民100周年へつなげたい」

8月13日(金)

  日本の敗戦や勝ち負け騒動で揺れたコロニアを再統合すべく、日本の政界、財界、民間と一致団結して取組んだ日本館建設から、今年8月で50周年を迎える。サンパウロ市とブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)はその創立50周年式典を、14日午後3時半からイビラプエラ公園内の同館で行う。

 「当時のような戦争みたいな悲劇的な状況ではないが、団結する必要がないため、現在も日系社会は分裂している。日本館五十周年を成功させ、文協の五十周年、そして移民百周年の成功へとつなげたい」と中島エドゥアルド事務局長は今式典の意義を語る。
 日本館運営委員会の元メンバーや、当時建設に携わった関係者など約二百五十名の来賓が式典に参加する予定。式典は午後三時半から六時まで。丹下節子太鼓グループによる演奏や、茶道実演、また国際交流基金の支援のもと結成された音楽ユニット、ボンサイ・ホマンが日米伯などの音楽要素を融合した「クロスカルチャー」という新しい分野の音楽を披露する。
 創立当時、日本館の果たした役割は大きく、建設に向け尽力した山本喜誉司協力会会長(後の文協初代会長)は「日本館の建設によって、両国間に新たな認識と了解ができあがりつつある。また、コロニアは一大事があれば結束して起ちあがる。すなわちコロニア健在なりの感を特に深くしたことは、協力事業の二つの大きな成果であった」と語っている。
 五四年九月六日に行われた公式落成式では、ギレルメ・デ・アルメイダサンパウロ市四百年祭典委員会総裁が「各国コロニアに率先して、熱心に祭典事業を推進し、しかもこの見事な日本建築をこの地に永久に残していただくことは、独りパウリスタ市民としてのみならず、ブラジル国民として感謝申しあげたい。今後この日本館が、日伯文化交流に寄与することを心から祈念してやまない」との祝辞を述べるなど、ブラジル側からも高く評価された。
 この時、日本館建設に向け結成された日本人協力会は、戦後初の日系コロニアの統一組織であり、文協の前進となった。中島事務局長は「日本館建設で日系社会が固まり、文協ができ、それで移民五十周年が成功を収めた」と語る。
 日本館建設は戦争によって分裂した日系社会を再統一するという重要な役割を果たした。現在日系社会が転換期を迎える中、日本館はまた重要な役割を果たすかもしれない。
 また、日本文化をブラジル社会に向け発信するという役割も更に増している。
 サンパウロ市の要請により、今年に入ってから日本館は週末に加え水曜日も開館されていることや、一月二十五日の四百五十周年記念式典の際、日本館を一般無料開放した時には六千人の市民が集まるなど、かつてないほどに非日系人の間にも関心が高まっている。
 公式開館日の十五日は、午前十時から午後五時半まで一般無料開放されており、折り紙教室や、日本の伝統的建造物の模型展示もあせて行われる。
 中島事務局長は「日系、非日系を問わず、十五日にはたくさんの若者に来て欲しい。日本文化に興味を持ってもらいたい。その人たちが今後の日本文化社会を担って行く」と語り、若者の参加を呼びかけた。