人生の幕引の前に=日本政府に向け真情を吐露した米国在住老人=(1)=1度乗ってみたかった=日航ファーストクラスで訪日

8月28日(土)

 メールマガジンからリック野口氏の「アメリカ・カリフォルニア発、百姓ジジイの還暦過去帳、思い出語り」四部作の一部を紹介する。実話に基づいているという。「金田氏」という人物の言動を通して「国を愛するということは、どういうことなのか」、「真の日本人とはどんな人か」が語られている。
【リック野口】戦前の台湾の台北に生まれる。終戦で父親の故郷福岡に引き上げてそこで育つ。東京農業大学、拓殖科五期で、一九六四年卒業して、最初パラグアイに単身移住するが、その後アルゼンチンで三ヵ年農業をして、日本に戻り、その後二十九年前に家族でカリフォルニア州のサンフランシスコ郊外に移住して、居を構え、現在に至る。趣味は有機野菜の栽培と旅行。重国籍容認運動 今朝の朝焼けの色を思い出して何か、心の中に有る思い出の何かを考えていた。長年の友人、金田氏の旅立ちの日を追想して、輝くばかりの人生の幕を閉じた日の朝の思い出が胸にこみ上げてきた。
 金田氏のお兄さんの遺骨を、アルゼンチンから預かって来てから暫らくたって、金田氏から相談の電話が有ったのは、私が、日本行きの話しをしてから二日ばかりの時が過ぎた後で、シニア・アパートを訪ねて行ったのは、その翌日で有った。私が訪ねて行くと、彼はお茶を進めてくれると、おもむろに話し始めた。
 「貴方が日本に行くのなら、私も同行さして下さらないか。私は歳で、無理も
出来ず、心配なので良ければお願いしたいのだが」と言うと、簡単な予定表を持ってきた。それは、凄く簡単なもので、たった二行の文が有った。
 東京に二泊、靖国神社参拝、そして後は、兄の納骨と法要、両親の墓参り、の簡単なもので、それを私に見せると彼は、「その代わりに、私が飛行機代を持ちます」と話した。
 私が答えを戸惑っていると、「お願いします」ともう一度声を大きくして私に話したので、私は慌てて、「ひきうけました」と答えて彼と握手した。珍しく金田氏が私の家を訪ねて来たのは暫らくしてからで、日本行きの切符を持つて来たのであった。
 金田氏は、私の切符を取り出すと、出されたお茶を手に、私に差し出した。私はその切符を見て驚いた。なんとファースト・クラスではないか。彼は私の戸惑いを見て、「これが最後の飛行機になると思うので、一度乗ってみたかったので」と話した。
 私も、一度も乗った事も無いファースト・クラスで行けると、内心はどきっとしていたが、金田氏の言葉が何か心の中でジーンと来ていた。日本行きの日は、よく晴れてすがすがしい朝であった。
 ワイフが運転する車で、金田氏のシニア・アパートに迎えに行った。ドアを開けると、仏壇に線香があがり、良い香りがしていた。背広をきちっと着た金田氏を見るのは久しぶりで、かなり若く見えた。
 全ての用意も済んで、トランクが一個、ドアの横に置いてあったので、私が、「では、行きますか」と声を掛けると、亡くなった奥さんの遺影に手を合わせ、線香を消し、火の元を確かめると、「では、行きましょう」と歩き出した。
 その日は混雑も無く、サンフランシスコの飛行場まで一時間もせず着いた。荷物を預け、待合所のホールで寛ぎながら、出発の時間を待ったが、金田氏は、窓際の外が見える場所に立ち、考え深げに外を見ていた。
 「私ら夫婦は、昔よく、日本町へ買い物に来た帰り、足を伸ばして日本の日の丸の付いた日航機を見に来たものですよ」と思いで深く見入っていた。
 出発のアナウンスが有り、日航001の搭乗の開始を告げた。
 乗りなれた日航機であるが、ファースト・クラスは初めてで、緊張していた。金田氏と隣り同士の席で、彼も安心感が有るのか、飛行機が安定飛行に入ると、出された飲み物を手に、私と話し始めた。(つづく)

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