サンパウロ新聞編集主幹 内山勝男氏死去

9月10日(金)

 戦前からの邦字新聞記者で、現役だった唯一の人、内山勝男さん(サンパウロ新聞社編集局編集主幹)が、八日午後八時ごろ、サンタクルス病院で肺炎のため死去した。九十四歳だった。先週末、ルアで転倒、大腿骨を骨折、手術、入院したが、肺機能が悪化したという。
 一九一〇年新潟県上越市生まれ。三〇年、自由渡航者として単身渡伯、サンパウロ州内の文化植民地で就労、二年後、邦字紙・サンパウロ州新報社に入社、のち日伯新聞に移った。戦後四七年、サンパウロ新聞社の創業に参加、以後編集長、編集主幹をつとめる一方、日本の「中日新聞」「東京新聞」の通信員としてブラジル情報を送った。著書に『舞楽而留ラプソディー』『蒼氓の92年 ブラジル移民の記録』などがある。
 日系社会最古参の新聞記者として、貴重な証言を活字にした。例えば、笠戸丸移民が、三十周年のとき、旧日本病院(現サンタクルス病院)庭に記念碑を建てた。同移民たちは、病院建設費にもこぞって寄付したのだった。記念碑の裏面に島崎藤村揮毫の古歌が刻み込まれたので、後年これを「藤村碑」と呼ぶ人たちもいたが、内山氏は断固「違う」と諭した。当時、現場に立っていた記者だから、それが言えた。
 九日午後四時、サント・アマーロ墓地で葬儀、埋葬された。喪主は妻のしずえさんだった。