のりと=上妻さんの祝詞、高い評価=日本の『祝詞必携』が30編収録=資料として高い価値=後進のためにも役立つ=ポ語の人名、地名そのまま使う

9月14日(火)

 祝詞の入門書、『祝詞必携』(小野迪夫、金子善光著)が今月、戒光祥出版から出版された。「第九章海外の祝詞と昭和前期の祝詞」に、起工式や歌碑除幕式などブラジルで奏上された三十編が収録されている。作者は、神主の上妻博彦さん(鹿児島県出身、70)。後進のために、書き残した作品が著者の目に留まった。あらかじめ日本で内容が定められていた詞を、ブラジルに合うようにあえて追加した文もあり、資料としての価値が高いと評価されている。
 上妻さんは神主の家系に生まれ、宮司である父の元で禰宜(ねぎ)を務めていた。八人兄弟の長男で家を継がなければならない立場にあった。広大な大地にあこがれ、肉親の反対を押し切って一九六〇年にブラジルに移住した。
 カッポン・ボニートで二十四年間、農業を営んだ。この間、神主であることが評判になり、土俵祭りや地鎮祭でのお祓いを頼まれるようになった。「親不孝をした償いをしたい」。そんな思いが、心を動かした。
 海外の祝詞の特徴について著者は次のように、説明している。「外国語の人名や地名がそのまま用いられている。その点で外国語の取り扱いに苦慮なさっている現任神職には、大いに参考となるはず」
 上妻さんは、ブラジルの生活に適するように、内容を付け加えたこともある。
 「(この国の日系人は)遠く離り住まへども…永遠の御別れをブラジルの民諸共遥かに拝み奉りて捧げ奉る幣帛を聞こし食せ」
 昭和天皇の「斂葬の儀遥拝詞」は、日本側では一律に祝詞の内容が決められていた。日系人の存在をあえて書き加えた。「不敬罪に当たると非難を受けることを覚悟しました」
 また、歌人である上妻さんは、茶室の上棟式で茶道の歴史や利休の歌を祝詞に挿入。着眼点を著者が高く買っている。
 ブラジルには神主と呼ばれる人が、数えるほどしかいない。後継者の育成が大きな課題とみられている。後進がまごつかないようにとの配慮から、これまでの作品を自費出版するつもりだった。
 上妻さんは「お二人は、神道の権威と言われる。その方々から原稿を書籍に入れたいと依頼が入ったのは、名誉なことです」と喜んでいる。