小学校時代の親友に宛てた=苫米地さんの書簡が〃移民資料〃

9月18日(土)

 [既報関連]「岩手県人会ニュース」(九月号)によると、同県人・苫米地静子(とまべちしずこ)さん(90、花巻市出身、パラナ州パライゾ・ド・ノルテ市在住)が、小学校時代の親友に書き続けた手紙が、旧神戸移住センターの資料室に〃移民資料〃として寄贈される。
 以前、静子さんの手紙を一冊の本『良い思い出は温めて』にしてくれた、岩手県人会の強力な後援者である盛岡市在住の吉田恭子さんが奔走したもの。吉田さんは最近「センター(〇八年から国立海外日系人会館にするよう運動中)によって、後世まで保存してもらえることでしょう」と県人会に連絡してきている。
 静子さんの小学校時代の親友は菊池禮(きくちあや)さん(矢巾町)。去る八月十九日、九十歳で死去した。
 二人は、一九二〇年代、盛岡市の城南小学校で三年ほど机を並べた。卒業後、静子さんは家族と移住、禮さんは養子を迎え旧家を継いだ。静子さんには移住後、音信どころでない生活が戦前、戦中、戦後を通じ三十九年続いた。NHKの製作中のドラマに「ハルとナツ、届かなかった手紙」があるが、静子さんの場合は、書きたくても、生活に追われて「書けなかった」状態だった。
 戦後、在伯岩手県人会と母県との交流が始められて、禮さんが、伝(つて)をたどって静子さんを探し当てた。それから文通が繁く行われた。静子さんは四十年の空白を埋めるように、禮さんとの別れから渡航、移住、開拓、独立――を書き続けた。これが、吉田さんによってまとめられた『良い思い出は温めて』であり、将来に残すべき貴重な移民資料である。
 静子さんによれば、別れたあとの禮さんの生活も尋常ではなかった。儲けた六人の子供たちのうち、長女と次女を病気で失い、次男は母胎の衰弱のため心身弱く育った。家事に余暇ができたころ、岩手県精神薄弱者相談員、民生児童委員、矢巾町社会教育委員など、公共に尽力した。『天王一族の系譜』『私の歳時記』と二冊の本を出版した。
 八五年、交通事故で負傷、老人車を押して歩く体になった。そのころまでは、静子さんとの文通も順調で、短歌も書き送ってくれたという。九九年、自宅で転倒し車椅子の生活に。読書ができなくなり、手がふるえて文字が書けなくなり、便りは途絶えた。文通は静子さんの一方通行。そしてアルツハイマー発症、死去に至る。
 静子さんは、親友の死去の八日前、岩手県人会に手紙で「晩年に病に苦しむ友・禮さんへ」と題し手記を寄せた。「無能な私がこのように無事永らえて、あの禮さんが何故…?、私は激しい憤りさえ覚えつつ、せめて、きょう一日を安らかに、と祈るのみです」と結ばれていた。
 県人会ニュースの編集者は「〃届けられない手紙〃が県人会に寄せられた」と同手記を紹介している。