第26回サンパウロ・ビエンナーレ=日本人作家2人も参加=記者会見で自作など語る=26日から公開

9月25日(土)

 一九五一年に始まり、世界でもベネチアに次ぐ歴史を誇る国際美術展「サンパウロ・ビエンナーレ」(隔年開催)が二十六日から、サンパウロ市で一般公開される。二十六回を迎えた今回は、六十カ国・地域のアーティスト百四十人が参加。日本からも二人が出品している。伝統の国別部門に画家の宮崎進さんが派遣され、事務局側が作家を選定する企画部門「テリトーリオ・リヴレ(自由領域)」に写真家の畠山直哉さんが招待された。
 四年間のシベリア抑留経験が創作の源である宮崎さんは「ビエンナーレが始まった前年に日本に帰国した。その歩みは私の画家人生とも一致する。長いときを経て光を当ててもらいサンパウロで展示できることを喜んでいる」。海外で発表する機会の多い畠山さんは「土地、空間によって作品の見え方は微妙に違う。ここではどういう表情をするのか楽しみ」とそれぞれ期待感を語る。
 実に半世紀以上続く長寿展。日本は一回展に「国民的画家」の東山魁夷ら三十四人が出品して以来、欠かさず参加している。棟方志功、浜口陽三、川端稔、斉藤義重、富岡惣一郎、管井汲らには最高賞などの受賞歴があり、国別部門に派遣される日本人美術家は常に注目の的だ。
 美術の最新動向を伝えるビエンナーレだけに中堅・若手作家が目立つが、宮崎さんは一九二二年生まれ、多摩美術大学名誉教授でもある。宮崎さんを選考した日本代表コミッショナーの水沢勉さん(神奈川県近代美術館)は「五十年というビエンナーレの歴史に見合うベテラン作家を紹介したかった。戦後という時代を考えられる作品を提示すべきと思った」と、その理由を説明する。
 「ヴォイスィズ・オブ・シベリア(シベリアの声)」と題した宮崎さんの近作・新作十二点。油絵の具のほかに蜜蝋、分厚いドンゴロス(麻布)、ぼろ切れあるいは石膏や黒く焼いた木など多彩な素材を用い、その物質感で観るものを圧倒しつつ、包み込んでいく表現が特徴だ。
 宮崎さんは自作を「私は小さいときから戦争を体験。中国で三年、シベリアで四年過ごした。常に今日の絵画を意識しているが、軍隊と抑留の経験は体に染み付いたもの。何をやってもシベリアのような絵になる」と解説する。
 敗戦兵として大陸をさまよい、「ぼろ切れ」のテントで寝た。焼け焦げた木は、宮崎さんがシベリアの荒野で暮らしていた小屋だ。「作品で見られるいずれの素材にも、必然性がある。だがその作品は記憶を説明したり、図解したりする(具象的なものでは)ない。記憶や体験そのものが現前している」と水沢さん。個人的な体験が、抽象化されることで普遍性を得ていると強調する。宮崎さんも、「現実というのは非常に重いもの。いくら作品化しても物足りないので、次第にイメージが抽象化していく」と語る。
 シベリア抑留体験を反復し深化させる宮崎さんとはある意味で対照的な作家が、畠山さん(五八年生まれ)。「新しい写真、まだ行なわれていない写真を撮ることを自分に課している。そのせいか、被写体はバラバラ。文体よりも言葉の数、ボキャブラリーを増やしていきたい」タイプだと自己分析する。
 九七年に木村伊兵衛写真賞、昨年は日本写真協会年度最高賞を受けた気鋭の写真家が、世界から七十一人が出品する企画部門に並べて見せるのは「スティル・ライフ(静物)」と名付けられた三十八点。作品は三年前、ロンドン郊外の新興住宅地に四カ月間通い、撮影したものだ。家々のデザインなどに現われる住人の淡い欲望。その共通性と個別性を検証した。大型カメラを地上から三メートル地点に固定し、「静物」を写すような感覚で対象をとらえた。見えるものをただ記録した表現でなく、見えないもの、見えなくなったものまで考えさせる。新たな知覚を認識する作品群だ。
 ポルトガル語では「静物」を「ナツレザ・モルタ」と言い表す。英語では反対にライフ(生)の語が含まれる。生と死。対立する二つの意味が「静物」には含まれている。「昔からそのことを興味深いと思っていた。住宅も、住む人によってすべてが違うものでありながら、それほど変わりないように感じる。相反する二つのものが一つの場所にある状態がぼくを考えさせる。そういう関心の中から(作品が)生まれてきている」と話した。
 十二月十九日まで。午前九時から午後九時(月~木)、午前九時から午後十時(金~日)。入場無料。イビラプエラ公園内ビエンナーレ(チチロ・マタラッゾ)館。三番ゲートから入る。