『朝蔭』来月300号=―25年間1度も休まず―=花鳥諷詠の題材の宝庫=俳句に向いている国で=主宰・牛童子さん86歳=創作意欲なお衰えず

9月30日(木)

 俳句誌『朝蔭』(佐藤牛童子主宰)が今年十月に、創刊三百号を迎える。一九七九年十月に病死した兄念腹の『木陰』を引き継ぐ形で発刊。二十五年間一度も休むこともなく、毎月刊行されてきた。ブラジルは、海外で〃俳句王国〃と言われる。その中で投句者が最も多いのが、この『朝蔭』だ。
 四季の移り変わりがはっきりせず、何事にも大雑把なブラジル。そんな国で俳句が育つのか?
 日本ではかつて、コロニア俳壇について疑問を投げかける人が多かった。「向こうから見れば、生活に困って海外に流れていった連中だから」と、牛童子さんは言う。
 しかし、現実は違った。色とりどりの熱帯植物や豊かな動物相。花鳥諷詠の俳人にとって、ブラジルは題材の宝庫だった。「ここは大自然に囲まれている上に、世界の様々な人種が混合して社会を形成している。まさに、俳句に向いている国なんです」。
 七九年十月。念腹(一八九七─一九七九)が病床に倒れ、三十一年間続いた『木陰』が一時休刊に追い込まれた。復刊までのほんのつなぎのつもりで、『朝蔭』が誕生した。念腹が発刊の直前に死去したため、後継誌の形になった。
 「お前、がんばってくれ!」。死を前にした兄の励ましの言葉が、今も忘れられない。支持者が多かったこともあり、『朝蔭』は順調に号を重ねていった。
 「二十五年間、休むことも合併することもなく続けてこられたのは、感謝のほかありません」
 日系コロニアは、一世から二世三世に世代交代が進行。既に五世が、生まれてくる時代に入った。一世の高齢化とともに、投句者も落ち込む傾向にある。「日本語に対する深い理解がないとつくれないのが、俳句だからだ」。
 『木陰』時代には毎月四百~五百句が掲載された。それも厳選した上でのこと。「良い句じゃないと載せなかった」という。今は、投句の全てを入れても三百五十がやっとというところだ。
 多民族国家ブラジルならではの深くて意義のあるある句が出来るはず。そう考えるからこそ、牛童子さんは後継者問題を憂えざるをえない。
 『ブラジル歳時記』(日毎叢書)を編纂中。刊行後には、句集『朝蔭雑詠選集』(同)の続刊も考えているという。八十六歳の牛童子さん。創作意欲は衰えていない。