コラム 樹海

  アテネ五輪で日本の選手は素晴らしい活躍をしたが、きょう十日は東京オリンピックが始まった日である。あれから四十年が過ぎたけれども、アジアで初めて開かれたの東京五輪の感動は今も心の中で鮮やかに輝く。大松博文監督が率いる女子バレーはソ連を破って金メダルを手にした。名アタッカーの河西昌江選手の活躍にファンは涙し拍手を送ったのも懐かしい。マラソンで三位になり銅メダルの円谷選手も忘れられない▼振り返ってみると、あの頃の日本は未来に向けて飛び立とうとする若鷲のような逞しさが漲り、国民の誰しもが頑張っていた。東京と大阪を結ぶ東海道新幹線が完成したのが十月一日であり、人の往来が激しくなる。線路を広軌にし時速二〇〇キロで疾風のように走る新幹線は僅か三時間で東京と大阪を繋ぎ、東京五輪を見学にきた外国人らをびっくりさせ、東洋の国の技術の水準の高さに驚く▼東京の町並みが大きく変わったのも、あの頃である。ホテルの「ニュー大谷」や「大倉」が華々しく開業したし、江戸からの川や堀は埋め立てられコンクリートの道路が整然と並ぶようになる。「君の名は」で有名になった数寄屋橋は、ちゃんと橋があったのだが、これも埋め立てられてしまい今はない。余りの激しい工事に昭和天皇は「川は流れるものだ」と閣僚かに皮肉ったというエピソードは今も残る▼東京五輪の開会式には昭和天皇と香淳皇后もご臨席になり池田勇人首相、東龍太郎都知事らも―あの真っ青な空の下でのスポーツの祭典を祝ったの記憶も遠くなるが、あの感動は大切にしたい。   (遯)

04/10/09