青年隊がけんか騒ぎ=下元健吉胸像の置き場めぐり=学校寄贈か個人保管か

10月19日(火)

 南米産業開発青年隊協会(牧晃一郎会長)は、同協会所有の下元健吉の胸像をコチア市にある州立ケンキチ・シモモト学校に寄贈することを七月に行った月例会で決定した。これに対し「十分な議論がなされていない」と反対意見が上がっており、十五日晩の会議では、あわや暴力沙汰かという場面も見られた。胸像の置き場と共に、親睦団体の有り方が問われている。
 コチア産業組合中央会専務理事だった下元健吉は、南米産業開発青年隊制度実現に尽力した。まさに同協会員にとっては〃父〃とも言える存在だ。その父の胸像の置き場を巡って、協会内に不和が生じている。
 十五日夜、秋田県人会館で行われた臨時月例会で、州立学校への寄贈を進める会長ら役員は、反対派の松井英俊さんらと言い合いになり、牧会長ら二人が松井さんの胸倉をつかんで椅子が倒れるなど、あわや暴力沙汰かという状況になった。その場に居合わせた十人は、お互いに深夜まで説得を試みたが、深まった溝は埋まらなかった。
 同日深夜、牧会長は「馬鹿だ低脳だ、言われて黙っているやつはいない。我々は訓練所で同じ釜の飯を食った仲間で、あの程度はなんでもない」と松井さんの胸倉をつかんだ理由を、居合わせた記者に説明した。
 現在胸像を〃自主的〃に保管している同協会役員の有田稔さんは、引き渡しを求める賛成派に対し、「ドアをぶち壊してでももっていけばいい。でもそんなことをしたら家宅侵入罪だ」と、売り言葉に買い言葉で応酬。
 それを聞いた秋田県人会役員で、会館管理者でもある進藤次夫さん(第一次隊員)は「お前、本気でそんなことを言っているのか!」と怒鳴るなど、緊迫した雰囲気に包まれた。
59年作製持ち主転々
 この胸像は一九五九年頃に作られたもので、当時コチア本部ロビーにあったオリジナルから二つ作られた複製の一つだ。オリジナルは現在、コチア青年の手によってコチア市の日本庭園に設置されている。
 複製の一つはパラナ州ウムアラーマの青年隊訓練所に設置されていたが、閉鎖後は持ち主を転々とし、九六年、南青協移住開始四十周年の際に同協会の元に帰ってきた。その後、下元家の了承を得て正式に協会所有のものとなった。しかし、〇二年六月の邦字紙記事で胸像取り扱いの乱雑さを指摘され、その処遇が問題となっていた。
 峰村康前会長は「イビウーナ日伯寺にという話もあったが、『父は仏教徒じゃない』と下元氏の長男(マリオさん)に言われやめました。ジャカレイのコチア農学校に寄贈するという話もあったが、それも会員の同意が得られなかった。そうこうしている内に昨年の十二月頃、マリオさんの方から州立学校の話が上がりました」と今までの経緯を説明する。
 牧会長は、「胸像は公共の場に置いてこそ意味がある。この学校には千二百人近い生徒がいて、年齢も日本の中学生にあたり、若い彼らによい影響を与える」と同校に寄贈することの意味を強調する。
 「胸像を設置した後が大切」と協会役員の早川量通さんは、寄贈後も協会が学校と積極的に関わりを持って行くことを示し、「私たちの孫の代になっても関係のあるようにしたい」と将来のビジョンを語る。
 会員の多くは無関心で賛同
 現在、県人会館内の部屋を間借りし、そこで胸像を保管している有田さんは、「三万五千レアル(台座費用など)もかけて壊されたらどうする。それこそ粗末に扱うことだ。それだったら下元家に返した方がいい」という。寄贈後の扱いを懸念しており、「寄贈後も協会が責任を持って面倒を見ること、それに同意することを会報で公表するなら賛成する」としている。
 有田さんは、州立学校の周辺は寂しい感じで、ファベーラ然とした場所が広がっているという。これに対し、牧会長らは「ファベーラではないし、徐々に市街地になってきている住宅地だ」としている。
 有田さんらが「十分な議論がなされていない」という背景には、有田さんが六月に反対意見を文章にし会報に乗せるよう要求したが、寄贈決定の七月を過ぎ、九月になっても掲載されなかった経緯ある。
 そのため有田さんは、九月初めに自費で全会員に反対意見を送付した。その手紙に十一人からの反響があったが、そのほとんどに対して牧会長らが直接電話し賛同を取り付けた。
 現在、協会の会員数は約二百三十人。パラナ州に住む会員全員が決定に賛成の意を表すなど、「ほとんどの賛同は得られている」と牧会長はいう。
 ただし、賛同者には、胸像を巡って会に溝ができるのを心配して賛成する人も少なくないという。
 「パラナの四十五人が賛成なのも無関心だからだ。電話して聞いたらどっちでもいいって言っていた」と有田さんは語る。胸像を重要視していないとも取れるような会員の無関心さにも問題があるようだ。
 早川さんは、「寄贈するのはすでに役員会で決議されたこと。親睦団体なんだから、あまり強硬な反対をせず、しばらく身を引くなりすることも時には必要では」という。
 青年隊の父、下元健吉の胸像はどこへ置かれるべきか? 親睦団体とはどうあるべきか? いろいろな問題をはらんでいるようだ。