下元健吉胸像=学校寄贈派が持ち去る=管理者「反対運動起こす」

10月28日(木)

 【既報関連】下元健吉、何処へ行く――。胸像の置き場めぐり、十五日晩にあわや喧嘩沙汰かという騒動が起きた南米産業開発青年隊協会(牧晃一郎会長、以下、南青協)。二十六日晩、牧会長はじめ役員五人が胸像の置かれていた部屋に入り、その場にいた反対派の有田稔さんに引渡しを迫り、持ち去った。
 二十六日午後六時半ごろ、反対派の松井英俊さんと二人で借りている秋田県人会の一室で、有田さんは秋田県人会の石川準二会長と植林事業について話合いをしていた。そこへ南青協の牧会長、早川量通役員ら五人が訪れ、「これ以上、延ばすことはできない。今日は胸像をいただきに来た」と迫った。
 その場に居合わせた石川会長は、「県人会に迷惑をかけないように、穏便にことを進めてくれ」とクギをさしたという。有田さんと五人の間で、二十分程度の話合いが持たれたが決着がつかず、結局、牧会長らは胸像を持ち去った。
 秋田県人会役員で南青協第一次隊員の進藤次夫さん、舟木良治県人会会計理事もその場に立ち会った。
 二十七日、牧会長は取材に答えて、「話合いはつかなかったが、強制的に持ってきたのではない」と語った。胸像は現在、会長宅に丁重に保管されているという。胸像をコチア市の州立下元健吉学校へ寄贈する件は、七月の役員会で決定済みであり、「胸像は会のもの」と強調した。
 「私は、有田さんが理解してくれたと思った。確かに、持っていくものはしょうがない、といった感じだったが」という。「早急にことを進めるつもりはない。今後も、月例会などの機会をとらえて、有田さんや松井さんと話し合いをするつもりだ」と語った。毎月発行されている南青協便り十一月号にも二人の意見を掲載する、と会長は明言した。
 一方、二十七日朝、来社した有田さんは「強制的に持っていった」と訴えた。「石川会長も居られたし、県人会に迷惑をかけるのを恐れて渡したが、強制的だった」と語った。
 「魂を込めて最後まで胸像の面倒を見ないのなら、例えば盗まれても再建するとか、それぐらい真心がないのなら、私は反対です」と、学校へ設置するのに反対する理由を繰り返した。
 有田さんは、松井さんと相談しながら南青協便りに意見を発表し「設置反対運動を進める」と語った。
 石川会長は二十七日、電話取材に答えて「会で決めたことだから従ったらどうだ、と有田さんに言ったが、分かってもらえなかったようだ」と言った。その時の状況を「有田さんは一人で、あの人数(五人)だったから、強制になるだろうな。でも暴力沙汰とか、そういう雰囲気ではなかった。感じとしては、有田さんは圧迫感を感じただろうね」と証言した。
 前回の「あわや暴力沙汰」事件により、胸像問題が明らかになって以来、南青協地方会員から問い合わせ電話が十数件も入っており、進藤さんは「反響の凄さに驚いている」という。「強引に押しかけていって持っていったわけじゃない。立派な寄贈式典を行って、収めるべき場所へ収めたい」と語った。
 南青協の生みの親、下元健吉コチア専務が生きていたら、一連の騒動をどう見ていたろうか。