空手通じ日中交流=銘苅さん「ブラジルも輪に」

11月2日(火)

 夢は「空手を通した国際交流」――。銘苅拳一さん(58、沖縄県出身)は、一九五八年、移民としてやってきたブラジルで親戚から空手を学び、現在は八段の腕前。一九九〇年、日本の武道が禁止されていた中国へ渡り、空手を広めた。上海市の空手道委員会から「中国に初めて空手を伝えた人物」として認められている空手普及の第一人者。大阪府に中国人選手を招いて大会を開くなど、空手を通した日中交流を促進している。いずれは、ブラジルもこのスポーツ交流の輪に加えるつもりだ。
 中国に空手を普及する上で苦労したのは、政府の許可を得ること。「すべて国の許可が必要なんです」。普及活動のために、銘苅さんの弟子で当時ブラジル大統領のフェルナンド・コーロル氏や日系人の元サンパウロ州議員・下本八郎ブラジル空手拳士会名誉会長など様々な人脈を利用して中国政府への紹介状を書いてもらい、普及の許可が降りた。
 しかし、空手そのものを伝える段階ではそれほど困難はなかった。銘苅さんが道場を構える上海には今では空手ブームが巻き起こっている。西安、雲南、北京、南京、成都など各地で普及活動を展開し、中国全土に五十ヵ所以上の支部を持つ。直接の弟子は二、三万人。空手人口は十四年間で二十万人以上に達した。特に女性拳士が多く、二人に一人は女性だという。
 「中国の子は一人っ子でわがまま。空手を通して礼儀作法を学ばせようと親が子どもを連れてくる」ことも空手人口が増加する要因の一つ。空手の魅力は、体が鍛えられ、強くなること。精神力も養われ、自信が出てくる。独立精神を鍛えられることから将来のためにもなる。さらに銘苅さんは「空手を通して国際人を育てたい」と考え、普及活動を続けている。