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親子2代そろばん普及=加藤さんの功績「まとめ」へ

11月18日(木)

 そろばんの普及に尽力した加藤福太郎さん(一九三四─一九八八)、ジョエルさん(一九六二─二〇〇一)父子の功績を歴史に残そうと、福太郎さんの妻テレーザさん(ブラジル珠算連盟前理事長、69)=コチア市=が出版作業に取り掛かっている。新聞の切り抜き、元生徒たちの寄稿文、写真を織り交ぜた記録集。ブラジルでの珠算の歴史を大まかにたどる。
 「海外で親子二代に渡ってそろばんに情熱を傾けた人は、これまで聞いたことがない」。昨年訪日したとき、珠算連盟の関係者から記録集の編纂を勧められたのがきっかけ。
 前々から二人の足跡を綴りたいと思い悩んでいた。「励ましの言葉をもらって、気持ちが吹っ切れました」。編集・製本に当たって大井セリア移民史料館館長がアドヴァイス。ブラジル珠算連盟(斉藤良美理事長)も各種資料を提供する。
 加藤福太郎氏は一九五六年三月に着伯。自身の教室を持つ傍ら、中沢源一郎旧南伯農協中央会理事長などの支援を得て、日系農協などでそろばんの手ほどきを始めた。邦字紙に初めて紹介されのが翌五七年。移民五十周年(五八年)の時に、旧コチア組合の後援で第一回目の大会が開かれた。
 記録集は邦字紙の報道を軸に、寄稿文や授業風景の写真などを入れていく。一冊百五十ページを予定。五、六巻のボリュームがある。今年中の完成を目指す。
 テレーザさんは「もともとは、マヌゼアドール・デ・ソロバンという言葉を使っていました。今のようにソロバニストというのは、十年以上経ってからのことです」と感慨深げだ。
 農協でそろばんの能力の有無は、人事異動の判断材料にされたという。ブラジルの商業学校や大手銀行もどんどん導入。珠算連盟が六七年に、正式に組織される。日本語学校の教師を対象に養成講座をスタートさせたのは八〇年代になってからだ。
 「家庭は二番目。そろばんに合う生活をしなければならない」。珠算を広めるために移住した福太郎氏。情熱と意思の強さに触れて、テレーザさんは、「これがサムライの姿なんだろう」と思った。
 長男、ジョエル氏も父の影響を受けて成長。十四歳から教室を手伝うようになった。福太郎氏は八八年に死去すると、仕事を引継ぎ連盟の理事長に就任した。〇一年に死去するまで、そろばんに人生を捧げた。
 テレーザさんは「地味な分野で目立たない。将来、研究者が調査する時などの参考になれば幸いです」と話している。

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