サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(7)=思い切り歌う楽しさ=唱歌部、実力上がる

12月23日(木)

 ♪「おどま盆ぎり 盆ぎり 盆から先ゃ おらんど 盆が早よ来うりゃ 早よもどる」――。
 スザノ・イッペランジャホームの「第一回マンジョッカ祭り」が〇四年七月二十五日、スザノ市の施設であり、サントス厚生ホームのお年寄りたちが合唱を披露した。平均年齢は、およそ八十歳。元気はつらつな姿は、訪れた人を舞台に釘付けにした。唱歌部を結成して九カ月、歌唱力も上がってきているようだ。
 指導に当たっているのは、コーラス・グループ白埴の創立者高橋知子(77、旧満州国出身)。入所者の一人でもある。〇三年八月に入居。間もなく、声楽の知識が評判になり、講師にまつり上げられた。
 老人ホームで、静かな余生を楽しみたい。そんな考えも頭の片隅にあったかもしれないが、そう簡単に〃隠居〃は出来なかった。ちょうど白埴が同年十一月末に慰問することが決まり、唱歌部の結成に向けて本人の意欲も高まっていった。
 「五~六人集まればいいところかな」。高橋は希望者たちの年齢や健康状態をみて、そうタカをくくっていた。号令をかけてみると、メンバーは十人を超えた。プライベート・レッスンを望む入所者も出た。
 実は、厚生ホームにかつて楽団が存在していた。援協厚生ホームの開所(七一年)間もないころのこと。維持運営がまだ先行き不透明で、入所者自身が桃や箸の袋張りをするなどして協力した時代だ。少しでも娯楽を増やそうと、入所者の一人木村捨三(故人)が楽団の結成を呼びかけた。
 サントスに移った後も、継続して楽器演奏を楽しんでいた。山下忠男(70、初代ホーム長、援協事務局長)は「七、八人が参加して結構賑やかでした。マンドリンなんかの楽器もありましたよ」と懐かしむ。
 主に、ホームのイベントで演奏していた。木村の死で衰退。七〇年代末に、自然消滅した。かつての生気を知る人にとって、歌唱部の誕生は〃古き良き時代〃の復活を感じさせるようだ。
 練習は週に一回。「ふじのやま」、「四季の歌」、「うみ」など唱歌中心に十曲ほど歌っている。幼い頃に聞き親しんだ曲だけに、とっつきやすいようだ。目の不自由な人や痴呆老人も、自立者に交じって声を出している。この一体感こそ、ホームが求めているものだ。
 高橋は「楽しく歌うことが大切。音程をはずす方もいらっしゃいますが、そんなことは構いません」と多くの参加を促す。「思い切り声を張り上げることができて、愉快です」と好評を得ているようだ。
 当初は、音程をたどるのに、おぼつかない面もみられた。「二部合唱が七部ぐらいになったりして」と高橋。この九カ月の間、着実に実力は上がった。従業員たちも進歩を認めている。
 斉藤伸一(ホーム長)は「お年寄りの表情が明るくなった。発声によってストレス解消にもなるみたい。健康増進に役立っています」と喜んでいる。(敬称略、つづく)

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