YOSAKOIソーラン最強チームに「入門」=日本舞踊名取が六十の手習い、札幌で=花柳龍千多さん(サンパウロ市)特訓3日=「日系子弟に普及したい」

1月8日(土)

 日本舞踊の名取りがYOSAKOIソーランに挑戦!――。過去十三回開催された大会で、最多五度の大賞を得ている最強チーム、札幌の平岸天神ソーラン踊り保存会(以下、平岸天神)に、花柳龍金龍会の花柳龍千多さんが三日間〃入門〃。通常は難しい入会だが、元副知事の松田利民・北海道日伯協会会長の助力により、ブラジルからは初めて、特別に指導を受けた。龍千多さんは今後、普及活動をしたいと張り切っている。

 北海道を中心に全国から四万三千人が参加し、観客動員数二百万人以上というYOSAKOIソーラン祭りの常勝チームといえば、過去五回の大賞、三回の準大賞を誇る平岸天神だ。
 日本舞踊は約三十年の経験を誇る龍千多さん。SOHOチームの振り付けを手伝った経験はあったが、本格的な洋舞は少々勝手が違ったようだ。敢えて挑戦したのは、「去年、サンパウロであった第二回大会を見て、これから伸びると思って」と動機を語った。
 資料によれば、平岸天神の踊りのモットーは4S「strong(力強さ)」「speed(スピード)」「sharp(切れの良さ)」「smile(笑顔)」。これを基盤に、北海道を代表する労働歌「ソーラン節」に込められた、漁師の苦しみ、浜の女の愛、そして大漁の喜びを躍りで表現する。
 「開拓地のフロンティア精神そのままに、五分間の演舞を自ら作り上げています」という移住者にも通じる心意気が資料には書かれている。
 四万三千人の頂点に立つチームだけあって、入るのは難しい。龍千多さんは「元副知事の松田さんが、わざわざ私について来てくれて頭を下げてくれたんです」と感謝する。
 快く受け入れてくれたのは、同保存会の理事、村井優美子さん、総括リーダーの穴澤剛志さんだ。龍千多さんによれば、「村井さんは、いずれ私たちもブラジルに行きたいと思っています」と語ったという。
 「みんな、若いのよ。十代から三十代なの」。昨年十月の訪日時、龍千多さんが「六十代のわたしじゃダメですかね」と平岸天神の人に訊くと、「黙ってても三十過ぎると辞めてきます」と答えたそう。
 わずか三日間だったが、「とにかくハードな踊りでした。甘くないですよ」と振り返る。通常、同保存会は週一回の練習だが、六月の本番間近になると毎晩に。祭りの後には、体を痛めて整形外科のお世話になる人までいるという。
 リーダー格三人が、龍千多さんにつきっきりで九四年の踊りを指導。「徹底的に仕込んでくれました」。これは同祭り三年目、平岸天神が初めて大賞をとった記念すべき踊り。その勢いを駆って翌年も大賞をとり、最初の二連覇の端緒ともなった。
 同保存会は過去の踊りも常に練習し、「使い捨てにしない」こともモットーにしており、九四年の踊りには基本動作の全てが含まれ、練習には最適と判断されたという。
 最後には、教材ビデオももらい、ブラジルに帰った後も続けられるように配慮してくれた。
 龍千多さんは、「別れの挨拶の時に、よくぞここまでやった、と言われるように頑張りますと言ってきました」という。「これからブラジルで、子どもや青年たちに普及する活動をしたい」との希望を語った。