アマゾニア日伯援協40周年=30日記念式典事業に理解求める

1月18日(火)

 アマゾニア日伯援護協会(大楯俊治会長)が今月十六日に創立四十周年を迎え、記念式典が三十日にベレーン市内(PA)で開かれる。北伯地方の日系人にもサンパウロと同様に、日本語による医療・福祉を提供したいと現地在住者らが団体を組織。一世の高齢化やデカセギに翻弄されながらも、病院や老人ホームの運営、貧困家庭の救済などを柱に事業を展開している。地元パラー州を始め、マカパー、マラニョン、ピアウイと〝守備範囲〝も広げてきた。〝不惑の年〝だけに、創立理念に迷いはないようだ。
 パラー州でも日系人の世代交代は進み、一世の家長は少なくなった。金光達英事務局長は「正確な統計はないが、創立会員も多くは他界していることと思います」と時の流れを痛感している。時代が移り変わっている中で、一つの区切りをつけようというのが四十周年を祝う意義だ。
 パラー州の日系人口は一般に、三千家族九千人と言われている。「デカセギの影響で、実質は六千人ほどじゃないだろうか」と同事務局長。援協の会員は数年前に千五百人以上いた。会員数は毎年漸減傾向にあり、千四百人を割った。だから式典開催には、組織の活性化に向けた思いも込められている。
 今後は日系人の高齢化をにらみ、アナニンデウア市に運営している厚生ホームの規模を拡大。入居棟を増築するなどして、定員(約二十人)を増やしていきたい考えだ。「ここはコロニアが小さいので、自立者、要介護者、身体障害者など雑多な人が入居しています」と設備の充実に使命感を燃やす。
 もちろん、懸案もある。屋台骨の一つであるアマゾニア病院の新病棟建設が、資金不足から中断してしまっているからだ。計百十床を予定しているはずの入院ベッドは、七十三床に留まっている。
 「コンパクトな総合病院で、医療レベルはベレーンでも有数。医師の多くは慶応大学などで研修を受け、日本語も堪能です」と誇るだけに、新病棟完成のメドが立っていないことがもどかしい。
 同病棟には救急患者を迅速に輸送するため、ヘリポートを設置する計画。ベレーンで画期的なものになるはず。記念式典で改めて、援協の事業に理解を求め、協力者を募っていきたいところだという。
 式には、州政府関係者や市の衛生局を始め、ベレーン総領事館や国際協力機構(JICA)などを招待。約四百人が出席する見込だ。席上で、歴代会長や功労者などを表彰。今年中に、四十周年記念誌を刊行する予定になっている。
 アマゾニア日伯援護協会は六五年一月二十六日、「アマゾニア日本人移民援護協会」として発足。七四年六月に団体名を現在の名称に変更した。厚生ホーム、アマゾニア病院のほか、トメアスー移住地に十字路病院を運営。また、日系移住地や貧困地域を対象にした巡回診療や訪問介護・デイ・ケアーなども行なっている。