日本精神が成功の秘訣=全国経営者セミナーでサクラ食品の中矢社長講演=東京都内のホテルに700人が出席=味噌普及の苦労話に関心

1月27日(木)

 【東京支社】日本経営合理化協会(一九六五年設立)主催の第一〇九回全国経営者セミナーが十九日から二十一日まで東京都内のパレスホテルで開かれ、約七百人が出席。その中のセミナー分科会で、サクラ中矢食品の中矢レナット健二社長が講演した。
 現在、同社は醤油をはじめ、味噌、日本酒、ワインなど約二百五十品目を取り扱っている。中矢氏の父母は愛媛県出身。結婚間もない一九三〇年に移住。サンパウロ州の農場に入り、その後、サンパウロ市に移転。親戚の乾物屋で働いた。その後家庭用の醤油と味噌を製造し、四〇年十月、サクラ中矢食品有限会社を設立している 
 中矢氏によると、タクワンのにおい、醤油の色、味噌・豆腐の見かけは、ブラジル人には用意に受け入れられなかった。
 「七〇年代に入り、大豆油、豆乳など大豆製品がスーパーなど出はじめ、ようやく醤油や味噌が一般の人たちにも売れるようになった」という。
 同社の醤油は丸大豆とトウモロコシを原料とし、六カ月間、天然発酵させてつくる。このトウモロコシの香り、粘りが特徴になっていることについても言及。また、「日本とは違い広大な面積をもつブラジルでは、肉の味も生産地域により異なりそれにあった調味料が求められる」と言い、広大な国土を相手に販売することの難しさや、ブラジルの経済は、政治と密接な関係があること、超インフレ時代の苦労などを続けて説明した。
 八〇年代、日系人の母国就労が急増する中、味噌の生産量が毎月百二十トンあったものが三十トンまで落ち込み、味噌の生産を中止するか存続するかと深刻な問題が起きたため、ブラジル人顧客に獲得にも力を入れだした。
 「ブラジル人は味噌の色を見せたら売れないと分かった。だから生味噌を袋で売るのではなく、真っ白な容器に入れ売った。またインスタント味噌をつくり、フィットネスセンターや寿司バーで売り始め、八十トンまで伸ばした」
 最後に中矢氏は「誠実、勤勉、協調という日本の精神文化を生かしたことが成功の秘訣だと考えている。いかなる問題の解決においても、その道から外れなかったことが、リーダーシップにつながった」と締め、会場の拍手を誘った。
 講演後、中矢氏は「この機会に多くの日本の経営者に出会い、わたしも学ぶことが多くあった」と語っていた。
 中矢氏は七〇年大学を卒業。八〇年から同社社長。