コラム 樹海

  食べる魚の鮮度は高ければ高いほどいい。魚を食べる人は、国、民族を問わず、そう思っているに違いない。だが、思っているだけで、実際には多少古くても、妥協?して食べている。極端に言って、鮮魚について、鮮度が十分でなければ魚でない、と言うのは日本人だけか▼奥地に入植した移民たちはよく話す。「魚といえば、イワシの塩漬けだけだった。それでも食べられたらいいほうだった」。最近でも「ミナス州にいったら魚は食えないものと思え」(実際にはベロオリゾンテなど都会にはすし屋があるのだが)▼ここで日本のスーパーの例など、出したくはない。しかし、比べてしまう。刺し身がパックになっている。魚の色が鮮やかだ。切り口が鋭角だ。漁師から始まって、流通業者たちが、客に新鮮なものを食べてもらおう、という気持ちになっており、それが実行された結果である。何よりも、それが他と競争になっている▼サンパウロの場合はどうか。網が揚げられ、漁船が港に着く。卸業者が購入、セアザに運ばれる。小売業者が仕入れる――その間、客が買うまで、どの程度鮮度を保たせることに力が尽くされているか▼ブラジルでは「ヨーロッパ出身」の移民、その子孫が魚を食するといわれる。日本人ほどうるさくいわないだろうが、鮮度の高いものを欲していると思われる。ただ、それが、特に流通業者の意識を変えさせるほどの勢力になっていない。それでも、やっぱりサンパウロはありがたい、というべきか。 (神)

05/2/2