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日系農協活性化セミナー視察旅行=イビウーナ農業の挑戦②=ハウス栽培は独学で=下田勉さん 家族と再び力合わせ

2月4日(金)

 「今まで一緒に農業をやってきたけど、苦労をかけたし勉強もさせなかった。日本へ行ってお金を貯めて自分の好きなようにしなさい」
 下田勉さん(68・熊本出身)はそう子どもたちへ伝えた。家族で農業に従事してきたが、「あんまり上手くいかんもんだから、百姓をやめたいという気持ちがあった」。四人のうち三人が日本に旅立った。一九九〇年のことだ。
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 「技師も雇わずに自分の経験と研究だけでやっているのがすごい」
 下田さんのハウス栽培農場を見学して、カッポン・ボニート農業協同組合の農業技師、上村ネリオさん(28、二世)は感心した様子で語った。
 下田農場では水耕栽培も盛んに行われているが、プラスチック管に水を通し、そこで野菜を栽培するこの方法は雑菌が発生しやすいという問題があり、専門的な知識を必要とする。
 「一生懸命やってきたつもりです。野菜の栽培方法はそうこったものじゃありませんが、大変な苦労がありました」と下田さん。
 夏の暑い時期、野菜が芯からやけていく問題が起きた。「原因が分からず、何でこんなことを苦労してまでやっているんだ」と思った。それでも、試行錯誤の末、「暑い時間帯に肥料の濃度が高すぎるのがよくない。暑い日は日中に肥料をやらず夕暮れ時にやるのがいい」ということに気付いた。
 雑菌の発生を防ぐために一月に一度は装置の洗浄を行い、水漏れ防止のため三年に一度はプラスチックを交換する。また、農場に吹く風の通り道を調べ、風でハウスが壊れないように、要所にはビニールを張るなどして風を遮る工夫も施されている。
 その甲斐あって現在では、五十人の従業員と四万平方メートルのハウスを有し、アグリオンやハッカなど二十種類の蔬菜類を生産している。停電対策に自家発電所もある。これだけの規模にするのに銀行からの融資は一度しか受けていないというから驚きだ。
 一九六〇年、父母と弟二人、妹の計六人で渡伯。親戚の農場で綿作を四年行った後イビウーナ市に入った。トマトやジャガイモの栽培を行ったが上手くいかず、蔬菜類の露地栽培を長い間行っていた。ハウス栽培を始めたのは九四年からだ。
 子どもたちが日本へ行った翌年、下田さんも「子どももいることだし」と里帰りした時のことだ。飛行機が成田空港に近づいたとき、一面に広がるビニールハウスが目に飛び込んできた。「ゆくゆくはブラジルもこうなるだろう」。天候に左右されにくいハウス栽培に将来性を感じ、郷里の熊本に着くと周辺の農家を見て回った。
 日本から帰ると、売らずにとっておいたトラクターなどを処分してハウス栽培の準備に取り掛かった。そんな折、長男の久男さん(40)が「一緒に働く」と言って、日本から帰ってきた。「人は自分の力だけでは何もできないんだと言い聞かせてきました」。現在、山下さんは日本で結婚した次女以外の子どもたち、三夫婦と共に働いている。
 「みんながこれからは遊んで楽しまなきゃと言いますが、農場にいるのが一番です」
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 一行は機械を使ってハウス内の湿度を調整するなど先端技術を駆使している花卉生産者、斎藤武さん(63、二世)の農場を見学。そして、同市内の日本食レストランに向かった。虫歯による歯痛で、あまり満足に食べることができず少し不満を感じてバスに戻ると、アルゼンチンの森田健一さんが杓子のようなものを手にしていた。
 「店の前でおばあさんが売ってて、可哀相だから買ってやったよ。これ何にでも使えるんだぜ」。そう言うとその杓子みたいなもので肩を叩いてみせた。
(つづく、米倉達也記者)

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