日語教育にかける思い=移民のふるさとはいま(1)=文協との一体感薄れ学校数は大幅に減少

2月12日(土)

 サンパウロ市から西へ六百キロにあるアラサトゥーバ市(ノロエステ線)で一月二十、二十一日の二日間にわたって、ノロエステ、パウリスタ、ソロカバナの三線沿いにある日本語学校の教師ら約六十人による合同研修会が行われた。この地方は日本人移民が多く入植したことで知られる。参加者に現状や、日本語教育にかける思いを聞いた。                                                        「現在は文協と日語校の間で一体感が薄れている」と、ノロエステ日本語普及会会長の末永建郎さん(60・一世)は言う。
 一世中心の二、三十年前までは各地の文協ごとに日語校があったのが、現在その数は大幅に減少している。ノロエステでは三十の文協があるのに対し、日語校は十五。ソロカバナは文協十五に、日語四校のみ。パウリスタでは文協が十六あるが、半分は日語校を持たない。
 「文協自体、生徒が減り日語校を持つことが重荷になった」と、ソロカバナ日本語普及会会長の橿本洋子さん(62)は語る。多くの若者がデカセギで日本へ行き、また進学のために都会へ移り住んだためだ。
 だが、ミランドポリス市高岡校の角谷壮績さん(38・高岡市派遣)が「三分の一から四分の一の日系子弟しか日語校に通っていない」と指摘するように、日系の生徒対象者はまだまだ多くいる。
 末永さんは「一世の時代には文協が日語校を支えることが当然だった」という。戦後移民や戦後育った日系子弟は、総じて日本語教育への熱が低い。
 その理由を「戦争に負けて日本人としてのプライドを失ったため」とみるのは、汎パウリスタ日本語普及会部長の沢木茂さん(75)。戦前は日本人としての自覚を持たされたが、戦後は逆にそれを否定された。また、「戦後移民、戦後の日系子弟は高学歴だから日系社会に入る必要がなかった」とも。
 もちろん日語校は日語教育に熱意を燃やす人がいる限り続いていく。
 ノロエステ線では三年前、当時のJICAシニアボランティアや末永さんらの熱意でイーリャ・ソルテイラ校とペンナポリス校が復活した。閉鎖が検討されていたアンドラジーナ校も今年に入り、文協の会長が日本語教育に熱心な人に交代したことで継続が決まったという。
 「移民史を勉強して、日本移民は自分の家よりも先に学校を作ったことを知りました」と、JICAシニアボランティアの井上由己子さん(62)。「その気持ちを大切にする人が一人でもいれば違いますよ」(つづく。米倉達也記者)