英雄・ヴァンデルレイと取り巻く人間模様=連載(1)=〃肩書き〃元ボイア・フリア=6日、びわ湖マラソンへ

3月3日(木)

 コース脇の大観衆、そしてテレビ画面にくぎ付けになる世界中の聴衆誰もが目の前の光景を疑った――。最も注目を集める五輪の最終日の男子マラソン。突然の乱入者によって先頭をひた走るランナーが妨害されるという五輪史上はもちろん、マラソン史でも未曾有のトラブルが起きた。
 百八年振りに近代五輪発祥の地に帰ってきた世界最大のスポーツの祭典に例えようのない後味の悪さを残して、幕を下ろそうとしたそのとき、金メダルをつかみかけていた悲劇の英雄は自らの行為で母国、ブラジルのみならず、全世界に感動をもたらした。
 大観衆の割れんばかりの歓声が響く中、パナシナイコ競技場内に三番目に飛び込んできた身長一六八センチ、体重五八キロの小柄なブラジル人は両手でハートマークをつくり、汗だくの顔に満面の笑みを浮かべた。さらに両手を目いっぱい広げ、飛行機がよれよれと飛ぶしぐさを披露。
 レース終盤の三十五キロ過ぎにアイルランド人元神父の乱入で路上に押し倒され、八秒のリードを失った後、三位に後退し金メダルへの夢は泡と消えた。しかし恨みを全く見せないブラジル人ならではの明るさと最後まで諦めないガッツは、マラソン発祥の地で命を失うまで走り抜いた紀元前四百九十年のマラトンの戦いの勇士、フェイディピデスを思い浮かべさせた。
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 ブラジル人ならではの明るさと前向きさを全世界に披露したヴァンデルレイは、大会後一躍五輪の大スターに。五輪直後の九月七日の独立記念日には首都ブラジリアで、ルーラ大統領とともにパレードに招かれたほか昨年末、ブラジル五輪委員会(BOC)が選出するブラジル五輪大賞でも他の金メダリストを押さえて受賞している。
 名誉だけでなく生活も一転した。五輪後、スポンサーから金メダリストと同額の約七百五十万円の報奨金をもらったり、一月あたりのスポンサー料が大幅に増額したりした。一月の最低賃金が一万円程度のブラジルでは考えられない高収入を得られる身分だ。
 ただそこまでの道のりは貧困から抜け出したサッカー選手同様、幼い頃からの苦労の連続だった。
 ブラジルでは、日雇い労働者の代名詞となるボイア・フリア(冷たい食事)――。ヴァンデルレイについてマスコミが語るとき、必ずと言っていいほど「元ボイア・フリア」の肩書きがついて回る。
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 パラナ州の奥地にある小さな町クルゼイロ・ドオエステ市に生まれたヴァンデルレイは、家庭が貧しかったこともあり七歳ぐらいから父のジョゼさんとともにサトウキビや綿ので収穫を手伝いながら働き、午後は学校に通うという生活を続けてきた。当時の収入は一日に十二レアル(五百円)。
 「今とは全く違う世界に生きていた。小さい頃は、大統領や日本の総理大臣に会える日が来るなんて夢にも思っていなかったよ」。朴訥な表情で語るヴァンデルレイ。そこには一流のアスリートが発する独特のオーラはなく、取材に応じたホテルのレストランでもその存在に気づく人はほとんどない。ただ、カメラのストロボでヴァンデルレイだと認識したブラジル人は、側まで近づいてきて「あんたは英雄だよ。これからも幸せに」「ブラジルの誇りさ」と次々に言葉をかける。
 ただ、現在の状況とは異なり、五輪前にはブラジル人メディアを含む大半の人がリマの活躍を期待していなかった。
 「誰も僕のことを信じていなかったよ。唯一僕自身とコーチだけだった」
 銅メダルの栄光の影に一人のコーチの存在があった。
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 昨年のアテネ五輪で一躍、ブラジルの英雄となったマラソン選手のヴァンデルレイ・デ・リマが五輪後初となるびわ湖毎日マラソンに六日出場する。その飾らない人柄と取り巻く人間模様を追った。
 (続く、下薗昌記記者)