たくさんの出会いに恵まれる幸せ―ふるさと巡り、各地で先亡者慰霊=連載(3)=日本移民の歴史展示を=100年祭にウベルランジア日系協会めざす

4月21日(木)

 四月一日午後六時から、生長の家ウベルランジア教化支部で行われた慰霊祭に全員が参加した。同地の日系団体には会館がなく、同教会になった。
 「父母がいて自分が生まれた。先祖がいてこそ私たちがいる」。この式典のために、わざわざゴイアス州カタロン市から来た熊田龍夫・相愛会ウベランジア教化支部連合会長(二世、56)により、おごそかに最初の慰霊祭が執り行われた。
 県連一行の先祖を供養しようとする熊田会長に対し、途中、参加者から「当地の先駆移住者の霊を慰めにきたのだ」とズレが指摘された。誤解や説明不足な点もあったようだ。
 長い読経の中、参加者全員が丁寧に焼香した。
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「二〇〇八年の移民百周年には、州都ベロ・オリゾンテにカーザ・デ・クルトゥーラ・ジャポネーザ(日本文化センター)を開館し、三角ミナスへ入植した日本移民の歴史をぜひ展示したい」
 ウベルランジア日系協会の吉田早稲(さなえ)オタヴィアーノ副会長は熱っぽく、そう語った。
 「この地にも日系人あり」。そんな光景が、午後八時からロータリークラブで行われた、地元日系団体との懇親会ではあちこちで見られた。
 この日系協会は、三年前に二世有志が寄り集まってできた。会長の嶽村正さん(76、二世)によれば、会員は五十家族だという。市全体合わせても日系人は三百家族程度だという。一世のいる家族は四~五家族程度とか。
 「以前から会を作ろうという話はあった。みな仕事が忙しかったからあまり集まれなかったが、だんだん定年する人が増えてきたので、ようやく始まった。最初は個人の家に集まっていたが、人数が増え手狭になってきた」と嶽村さんは創立経緯を説明する。
 アラグアリなど周辺の農村地帯には会館を持つ日系団体が多いが、都市部の二世層は大学教授など知的職業に就く者が多く、事情が違うようだ。
 当地の比嘉ヨシオさん(65、二世)=プロミッソン生れ=は、「先日、父が沖縄から持ってきたサクラの苗三十本を、みんなでサビアー公園内に植えました。オデウモ・レオン市長も参加してくれ、日本のシンボルだと喜んでくれました」と報告する。この市営公園には今後、野球場、ゲートボール場なども造成する予定になっている。
 嶽村会長の妻、栄子さんは「ここでは一世が少ないから、二世が頑張っています」という。北パラナのローランジアにいた嶽村夫妻は牧場経営を目指し、一九八〇年に同地へ移転した。「あの頃、この町にはほとんど日系人がいませんでした」と振り返る。
 嶽村会長は言う。「この三十年、特にこの十五年でこの町は大きく発展しました。もうパラナへ帰るつもりはありません」。
 吉田副会長は「百周年に向け、市役所の人たちとアイデアを練ります。また、元州知事である当地の政治的リーダー、ロンドン・パシェコとの会合も予定しており、何かできると思います」と将来を見据える。
 サンパウロ州とミナス州の境にあるコンキスタ地方は、戦前に連邦政府が米作プロジェクトを行い、多くの日本人が入植した地でもある。吉田さんの母も一九三二年、六歳の時で来たという。「母はプロジェット・バルゼア・グランデに入った。十五年ほどで解体してしまったらしい。広島県人が多かったとも聞きますが、詳細が分からない。誰か情報を持っている人がいたら教えて欲しい」という。
 午後九時四十分、全員で恒例の「ふるさと」を合唱。同地から参加した数少ない一世の中には、懐かしさのあまり涙ぐむ人もみられた。
(つづく、深沢正雪記者)

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