日伯学園=来年開校へ=スザノの「戦略」=連載(下)=日本語教え、交流拠点に

2005年5月11日(水)

 二〇〇二年二月五日付け本紙は、連載『再浮上する日伯学園構想』第二部「日系ブラジル学校の現状」のトップバッターとして、スザノ日伯学園構想を紹介し、次のように書いた。
 「東さんは『学校を作るために市議になりました』と、さも当然のように淡々と語る。二〇〇〇年の市議会議員選挙では、一七九〇票を得て、三位で見事再選を果たした。それだけ学園構想が二世・三世層の支持を得ていることの証だ」。その支持は現在も続き、東氏は昨年十月の選挙でも再選された。
 創立は一九五八年にさかのぼる伝統のある協会だが、アセアスの特徴は会員が若く活気に溢れていることだ。「テニス部だけで百二十人の部員がいます。この地域のテニス活動の中心になりつつあります」と東前会長は説明する。
 一九六四年当時は十八日系団体が加盟する連合会だったが、一世が減ると共に衰弱し、九六年には八団体にまで減少、維持費さえままならない状態になっていた。当時の会長だった武吉七郎さんは「なんとか世代交代できないかと執行部をほとんど二世に任せました」という。その時、新会長になったのが東氏だ。
 団体を傘下とする連合組織から、個人会員制に替えた。最も少ない時で一世を中心に二百八十人しかいなかった会員を、東会長の時代に若者を中心に入会を募り、就任一年目(九七年)に八百人にし、三期六年を経て、上野現会長に渡してから三年を経過し、今では千二百人を数える。
 この十年で、アセアスは完全に組織替えした。九七年に会員全員にアンケート調査を行った時、若者を中心とする四〇%の会員が選んだのが「日伯学園構想」だった。
 東前会長は「長期的な戦略として日伯学園をうまく実現できれば、充実したスポーツ施設を持つ他日系団体のモデルになるはず」との期待に胸を膨らます。
 徳澄マリオ正義副会長は「これからはもっと日本との交流が大事な時代になる。そのためには学校で日本語を教え、交流拠点にする取組みが必要」と考えている。「これが我々の百周年。地方が強くなれば、中央も強くなる。サンパウロには全体を見通した計画をお願いしたい」。
 スザノ市は石川県小松市と姉妹都市提携をしており、「市役所も交流事業に関してアセアスを頼りにしている」という。「ブラジル人の親日家を育てるには、学校が一番です」。
 上野会長は「ここは利益を目的とした学校ではありませんから、私立学校のような高い月謝にはならないでしょう。適正な教員給与など必要な経費に関しては催事収入で補うなど、アセアスが支えます」と保証する。「しかし、日系企業や日本政府からの協力もお願いしたい。日本文化普及や教育への長期的な投資として、我々に協力してほしい」と強調した。
 二人のみの一世役員の一人、中田和夫副会長は「去年から八十歳以上の敬老会を始めた。会員だけでなく、スザノの日系人全てを呼んでいる。世代を超えたいい雰囲気があるから、ここには活気が生まれる。学校を作ることでさらに後押ししたい」と意気込んだ。
(終わり、深沢正雪記者)

■日伯学園=来年開校へ=スザノの「戦略」=連載(上)=2、3世が先頭にたって