恩師・夏目漱石と移民の父・上塚周平=五高時代の写真見つかる=作句も影響を受ける

6月23日(木)

 【東京支社】昨年十二月十一日、熊本県川尻で病院経営をする上塚周平の甥・上塚昭逸さんを清田日本フェアートレード委員会・清田和之さんとニッケイ新聞東京支社の藤崎康夫支社長が訪れた。その時、昭和逸さんは「以前、わが家には夏目漱石と大叔父周平が写っている写真がありましたが、今はどこにあるかわかりません」と語っていた。二人はこのほど、熊本市坪井の夏目漱石記念館を訪ね、写真を発見、昭逸さんが確認、所蔵側の複製許可を得て公表した。
 上塚周平は、ブラジル移民の生活、またその心情をうたった多くの俳句を残した俳人でもあった。
 夏目漱石は一八九六(明治二十九)年、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として来熊し、一九〇〇(明治三十三)年八月まで滞在している。
 夏目はこの時期、正岡子規に、教師を辞めて文学者としての道を歩きたい、という胸中を手紙で知らせている。
 五高で夏目は教鞭をとるかたわら、俳人として五高の生徒たちと近代俳句の会「紫シ氾溟吟社」を結成した。周平の俳句は、この恩師夏目の影響を受けている。
 そのことからも、上塚が夏目と写る写真は貴重である。清田さんは、「もしかしたら夏目漱石記念館(内坪井旧居)にあるのでは」といい、二人で同記念館を訪れ、同写真を見つけた。上塚周平の甥・上塚靖樹(昭逸の父)により、同記念館に寄付されていたのである。
 この写真撮影のあと、夏目は熊本を去り、イギリスに留学した。
 写真の存在は確認したが、上塚周平の確認の必要と所蔵者の複製許可を得るため、このときは同写真の公表をしなかったが、このたび清田さんにより、上塚昭逸さんに確認してもらい、同記念館の複写許可も得た。
 この同写真が撮影された場所・建物は、現在も熊本大学の校内にそのままの姿で残されている。写真に写っているマキの木も百年余の歳月を経て、堂々した樹木となっていた。