半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(4)=ベロ・オリゾンテで育てる檜苗=営農、試行錯誤を重ねて

7月13日(水)

 七月一日にリオ州ノーバ・フリブルゴで仲間の農場視察と親善交流を終えたコチア青年一行二十八名は、翌朝早く同地を発って次の交流地、ミナス・ジェライス州のベッチン(Betim)に向かった。
 地図の上では、ノーバ・フリブルゴからリオ~ベロ・オリゾンテ幹線道路(BR040号)までわずかな距離だ。そのため、ベッチンへの途中、世界文化遺産として有名なオウロ・プレットに午後一時過ぎに到着して土谷密夫(長崎県出身、第二次一回)の出迎えを受ける計画が組まれていた。が、観光ルートにない道路は計画に無情だ。オウロ・プレットに到着するはずの時間に、一行を乗せたバスはまだリオ州内にあった。山間の道路はカーブが多いためだ。
 このような場合も、仲間同士の旅は気楽だ。バスの中では会話が弾み、飲み物もあり、誰も時間など気にしない。オウロ・プレットに着いたのは日没後だった。半日も待たされた土谷密夫が、一行を笑顔で迎えたのはさすがだ。そして、一九五九年、あめりか丸の同船者だった山下治(福井県)と坂東博之(徳島県)と再会を喜んでいた。
 土谷の先導でベッチンのホテルに着いた時は夜半近くだったが、翌朝(三日)は午前七時にホテルを発ち、ベッチン郊外のイガラペ(Igarape)にある土谷密夫の育苗場を訪問した。
 サダ夫人(二世、パラナ州マリンガ生まれ)ら家族が心をこめて作ったオニギリやサンドウイッチなどを頬張りながら、地元でチャ-ルス・ブロンソン(アメリカの男優)の異名を持つ土谷の懐古話に耳を傾けた。
 「今年、六十六歳だ。最初はサンパウロ州のイビウーナで二年八カ月、パトロンの元でバタタ栽培をした。その後、リオ・グランデ・ド・スル州に出た。自転車で商売をしたが、その自転車が壊れてしまったので商売を止め、二~三年ほど風来坊のような生活をした。パラナ州に来たところ、一人の女性(サダ夫人)につかまってしまった(本当は逆か?)ので、一緒にブラジリアに出た。そして、二十七年前に今の土地に来て、波瀾万丈の人生に終止符を打った。四人の子供(男三人と女一人)にも恵まれた。二か所に、合わせて十五ヘクタールの土地がある。
 JICA(当時・国際協力事業団)の融資で購入した土地だ。地下水脈は良くないが、川の水が豊富なので助かっている。最初は野菜を作ったが、害虫が多いので断念した。カーネーションなど花もやってみたが、良くなかった。そこで、観葉植物などの苗木に目をつけて、サンパウロから苗木を購入して始めた。十年ぐらい前から軌道に乗った。今は州都ベロ・オリゾンテに出荷しているし、中間業者が買いに来る。勝(まさる、長男)が後を継いでくれるのでホッとしているよ」。
 イビウーナ当時の仲間だったのが菱沼利昭(兵庫県、コチア青年連絡協議会副会長)だ。曰く「ドヤ(土谷)クンはトランペットが上手だったな。パトロンと我々仲間が一緒になって楽団を作ったくらいだ。仕事はきつかったが、楽しかったヨ」。
 育苗場には沢山の苗木が育っている。「種類も本数も数えたことがないので分からない」と言うほど大らかだ。桧(ひのき)の苗木を仲間たちに惜しげもなく贈呈した。『桧』は日本では超高級建築材の一種だ。育苗場の一角に十年前に植えたという桧がまっすぐに育っている。目の前に鉄鉱石の山がそびえており、観光地にもなりそうな風光明媚な場所だ。「気候も良いし、ブラジルはいい国だねえ」と言う土谷密夫にみんなが納得した。つづく(文中・敬称略)

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