半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(6)=見えぬ糸で繋っている仲間に=記念式典への出席要請

7月15日(金)

 来る九月十八日、サンパウロ市近郊のサンロッケ市にある国士舘スポーツセンターで挙行されるコチア青年移住五十周年記念式典・準備委員長の重責を担う山下治(福井県出身)は、五月下旬から六月下旬にかけて訪日し、島村宜伸農林水産大臣や宮田勇全国農業協同組合中央会(全中)会長らを訪問、記念式典への臨席を要請してきた。
 島村大臣からは、国士舘スポーツセンターに造成した「コチア青年の森」のために「自然と人類の共存」の揮毫をもらってきた。また、昨年の九月、小泉首相のブラジル訪問に随行した、同郷選出の山崎正昭官房副長官には新装なった首相官邸の内部を案内してもらう幸運にも恵まれた。
 昨年十月には高橋一水コチア青年連絡協議会会長(高知県)が訪日、関係省庁や関連組織などに五十周年記念式典の招待状を手渡してきた。二段構えでの日本での広報と、招待活動の詳細が、七月一日のリオ州ノーバ・フリブルゴと三日のミナス州ベッチン(ベロ・オリゾンテ衛星都市)での交流会で、高橋会長と山下委員長両名から報告されて、五十周年記念行事への参加機運が盛り上がった。
 ベッチンでの交流会には稲員修(福岡県、一次二回)、金子昇富(群馬県、一/二)、宮田柱太(茨城県、一/五)、中野操(鹿児島県、一/六)、白石義武(熊本県、一/十三)、土谷密夫(長崎県、二/一)、柴山海蔵(群馬県、二/九)、本多一(愛媛県、二/九)と美智子夫人、高山久(長野県、二/十二)が参加した。
 コチア青年の森造成・記念誌発行・記念式典が、五十周年記念行事の三本柱となっているが、写真の展示も企画されているため、思い出の写真も提供して欲しい、と高橋会長が呼びかけた。
 「四十四、五年前にイガラペに二年間ぐらい住んだことがある。崩れそうなその家がまだ残っているのを見て感激したよ」とは交流団に参加した蛸井喜作(山形県、一/九)だ。「コチア青年の不良第一号の汚名(称号?)を受けて、ミナス州にやって来て、もう四十六年になるよ」とみんなを笑わせた宮田柱太は、州内にいる仲間の中核としてリーダーシップを発揮し、現在に至っている。(サンパウロ市近郊の)スザノにいた時は(交流会に参加している)杓田正(三重県)の兄と一緒だったようだ。
 同じく交流団に参加した花嫁移民(広島県、匿名希望)は、「ベッチンは、亡くなった主人が連れて行く、と言っていた場所でした。今回、皆さんと一緒に来れて本当に安心しました。亡夫も喜んでくれていることでしょう」と感涙に浸っていたし、夫と共に初参加の大岩フジ子(新潟県)は「コチア青年の皆さんが目に見えない糸で繋がっている姿を強く感じました。ブラジル全国的な縦横無尽の繋がりでしょ。多分、このような繋がりは日本にはないわね」と興奮気味に印象を語っていた。
 サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョに住む桜井陽子も夫と共に、この交流の旅に友情参加した。夫の桜井忠(長野県)は市会議員を歴任している。「神取忠さん(北海道)や山下治さん(福井県)とは長い付き合いです。このような機会を得て、同じ仲間が沢山いることの良さを痛感させられました。ちょっと羨ましいけれど、その仲間の皆さんとお付き合いをさせていただいている私たちも幸せですよ」と言う。
 昨年十一月に始まったコチア青年移住五十周年に向けた親善交流の旅は、三度目の今回で終止符がを打たれるはずだった。が、訪問地での反響の良さを受けて、もう一度「八月に実施しよう」という声が強い、と担当の坂東博之(徳島県)は、サンパウロに戻るバスの中で発表していた。さて、次の訪問地はどこだろう。おわり(文中敬称略)

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