ポ日英語対訳医学辞典完成させ死去=講道館有段者会の土肥会長=ライフワークで取組み=〃遺作〃を「本」にしよう=刊行スポンサー募る

7月20日(水)

 全伯講道館柔道有段者会会長でサンパウロ日伯援護協会理事の土肥隆三セルジオさん(内科医)が十一日早朝、心筋梗塞のためサンパウロ市内の病院で亡くなった。十数年にわたって、ポルトガル語、日本語、英語の三カ国語対訳専門医学辞典の編纂に取り組み、原稿の一部は既に援協診療所、日伯友好病院で実用されている。この世を去ったのは、八百ページの原稿を書き終えて間もなくのことだった。〃遺作〃を刊行しようと、有段者会らがスポンサーを募っている。
 土肥さんは四十年間、全伯講道館有段者会会長を務めた。日伯修好百周年(一九九五年)を記念して、全日本柔道連盟から選手団など約二十人を招聘。サンパウロなど国内三都市で、ブラジル代表と対抗試合を行うなど柔道の普及に力を注いだ。
 「柔道を知らない人に、その良さを理解してほしい」。土肥さんの視線は一部のエリートだけでなく、一般にも向けられていた。講道館創立百周年(八二年)の時も、日本に先駆けて記念行事を計画。嘉納行光講道館長らを招いて、祝賀式典とブラジル柔道選手権大会を催した。
 関根隆範常任理事(文協第一副会長)は「亡くなる二、三週間も前も、ベロ・オリゾンテ市(MG)の岩舟貢副会長に招かれ、子供たちの前で柔道への熱い思いを語りました」と在りし日の姿を忍ぶ。
 多忙な仕事ながら常に道場に顔を出し、投げや古式の形を稽古。小野寺郁夫師範(元オリンピック・ブラジル代表監督)の柔道アカデミーで共同責任者のように働き、六十歳を過ぎても子供と稽古をしていた。
 有段者会は、一世を核にした会だ。二世の土肥さんは一人で仕切るというタイプでなく、世代間のコミュニケーションもよくとれていたという。「人使いが、上手だったということ。仕事はやりやすかった」と岡野修平代表幹事。
 関根常任理事は、「医学博士 土肥隆三氏の死を悼む」と題した追悼文を執筆。「日本文化をこよなく愛する先生の心情が、我々一世の考えと共鳴していたからに他ならない」と綴っている。
 そんな土肥さんが、気にかかることがあった。一世のお年寄り、日本から来た医師や学生、ブラジル人留学生やデカセギなどが相手国で医学用語を理解できず、医療従事者との意思疎通にまごついていることだ。
 友好病院竣工に合わせて、援協理事会入り。二世としての〃使命〃を実感したのかもしれない。ライフワークとして、対訳専門医学辞典の編纂に取り掛かり始めた。医学博士で三十年以上前に、肝臓移植に関わった実績を持つ土肥さんでさえ、作業は困難を極めた。体調を崩すなどして、何度も挫折しかかった。
 妻、マリリア・F・ドヒさんは「日々の経験から単語を選び出し、新しい用語をその都度追加していった。書籍が出版されることで、医者や患者さんのコミュニケーションがうまくとれるようになれれば、幸いです」と声を詰まらせた。第二弾として、病気についての対訳表も書き始めていたという。
 書籍の刊行に当たって、有段者会とCIATEは後援する方針を固めた。援協も十四日の常任理事会で協力していくことを決定し、あすの定例役員会で最終的に審議される見込み。支援の輪は、広がりを見せ始めている。
 モルンビー墓地で営まれた葬儀には、約二百人が参列。妹婿の植木元鉱山動力相が遺族を代表して挨拶を述べた。嘉納講道館長から「有段者会の会長として長い間ブラジルにおいて、正しい講道館柔道の普及発展のため尽力されてこられました。在りし日の姿をしのぶと淋しさを禁じ得ません」と弔問文が届いている。
 書籍刊行に関する問い合わせは11・3277・9404(岡野さんまで)。