■ひとマチ点描■もちろん日本語で

2005年7月28日(木)

 チャイナ服風の深紅のシャツを着て、流ちょうな日本語で話す。
 「登り窯は中国が起源だけれど、いい形になったのは日本。そして、南米で一番集中している町がここですよ」
 登り窯第1号建設から30年を記念しクーニャ市で開催されている陶芸展で、ポルトガル人陶芸家アウベウト・シドラエスさん(60)=写真=に出会った。近年脚光を浴びる「陶芸の里」の立役者のひとりだ。
 日本で建築を学んでいた1972年、焼き物の世界に目覚めた。母国は当時独裁政権下。ブラジル行きを決め、福岡・小石原の窯元で知り合った日本人陶芸家夫妻にも移住を呼びかけ、同市で最初の登り窯を一緒に建設。場所は元屠殺場。ゼロからの出発だった。
 「負けたくない、諦めたくないという気持ちがあったね。だから、今日の町の姿があるのは自然なことだと思っているよ」と、多数の来場者で埋まった開幕初日の展覧会場を見渡した。
 29日午後2時からサンパウロ市の国際交流基金日本文化センターで講演する。「もっと町について知ってもらいたい。将来は日本との交流が必要だろうし、できれば陶芸家の専門学校を開きたいんだ」
 93~02年、2度目の日本滞在中、金沢国際デザイン研究所に勤務。「基礎科の主任までやっていた」。講演は、「もちろん日本語で」     (大)