ペレイラ・バレット77周年祭=〃花〃は5千人の盆踊り=――大切にしている慰霊法要=非日系人にも浸透=入植祭行事が「日本文化紹介」に

2005年8月4日(木)

 今年で入植七十七周年を迎えたペレイラ・バレット。同文化体育協会(山本進会長)が今年十月三十日で創立五十周年を迎えることもあり、七月三十、三十一日と盛大に記念祭が行われた。同地恒例となった盆踊り大会は四十四回目を迎えた。約五千人が会場に訪れ、大いに賑わった。
 地元の住民や出身者は、同盆踊り大会を「ブラジル最大」と自負する。花笠会、アラサトゥーバ、ルジ・ラモス、ビリグイなど約十五団体が参加。色とりどりのちょうちんで飾られたやぐらを中心とする直径四十メートルの踊り場に、日系人に限らず非日系人の姿も多く見られ、踊る姿を真似ながらともに楽しんだ。
 一九六二年に「入植祭に何か企画してくれ」という当時の市長の要請により、同盆踊り大会が始まった。その後、「シダージ・コントラ・シダージ」というテレビ番組で盆踊りを取り上げられ、有名になったという。
 増田敏明さん(82)は、一九三〇年に同地に移住。第一回目から参加している。「四十四回全部参加した。だんだん規模が大きくなってきてる。こんなにメーザなかったよ」と驚いた様子。
 曲はお馴染みの炭坑節の歌詞を「あんまり月がきれいだから、うっかりナモラもできやせん」など一部ポルトガル語でアレンジしたものも。「フッテボール音頭」なども演奏され、軽快なリズムとともに盛り上がりは最高潮に達した。
 自作の着物を着てひと際目立っていたパウラ・エミコさん(23)は「小さい時からいつも来ている。盆踊り大好き」。家族と訪れたセルジオ・セナ(16)さんは同地に住む。「食事、屋台、雰囲気など、みんなで踊るのが楽しい」と話す。
 リベルダーデ商工会の鈴木満枝さん(67)は、「サンパウロとは違う。家族一緒になって踊ってる。踊り場に五列(五重)になって踊るなんて珍しい。ブラジル人も多くて盆踊りが浸透している感じですね」と感想を述べた。アラサトゥーバ日伯文化協会会長の白石一資さんも「一つの日本文化として伝えた。非日系の人がこんなに来てるの見ると伝わってると思う」と話した。山本会長は「今年は一番盛大。天候にも恵まれて最高」と笑顔で語った。
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 翌日は午前十時から先亡者慰霊法要が同会館で行われた。導師を務めたのは西本願寺の清水仁恵さん。始めに田中俊夫さんが「七十七年の事業の中で最も大切な追悼法要を実行する。志半ばにして亡くなった方は数知れない。その方々の御霊に対して哀悼の意を表す」と挨拶した。その後献花、献灯が行われ、「真宗宗歌」を斉唱。サンパウロから初めて同地を訪れた満生寿さん(53)は「父が住んでた所を一回は見ておかないとね」と話す。
 サン・ベルナルド・ド・カンポ市から足を運んだ桑原三郎さん(76)は、「懐かしいね。入植当時はピンガ百リットルの瓶を家に置いて飲みよった。半分やけくそだよ、儲けようと思ってブラジルに来たのにね」と笑う。「今となっては笑えるけど、当時はやけ。真剣だった」と回顧するのは峯尾利朗さん(78)。
 同地の草分け的存在の輪湖俊午郎さんの孫、画家の工藤ジェームスさん(38)は同地で生まれた。「大人になってじっちゃんの事聞いた。今は金持ちで有名になるより、移民史に名を刻んだじっちゃんのことを誇りに思う」と話した。訪れた人々は、先達に敬意を表し、故人の霊を偲んだ。