♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(10)=見出し=ブラジル一の技術と料金

2005年8月16日(火)

 ブラジル一高い料金ながら、国中から仕事が舞い込む洗濯屋がある。一般店なら背広上下で二十数レアル、フランチャイズなら二十を切るご時世に、SAN・TAIOでは八五レアルだ。
 「誰にもマネのできない技術がありますから」と社長の追田空海雄(60、北海道)は胸を張る。
 「同業者には絶対に見せない」というシミ抜き作業場を見せてもらった。薬品の入ったビンが棚にズラリと並ぶ。まるでその一角だけ化学実験室だ。どんなシミ、カビ、汚れもここで落とすという。
 妻、久美子(61、東京)も「落ちるまで辞めないんです、この人は」と半ばあきれたようにいう。既製品の薬品だけでなく、自分で調合もするから数百種類がある。日本はもちろんポルトガル、北米、ドイツなどからも取り寄せる。〃秘薬〃は銀紙に包まれており、中身が見えないようになっている。
 和服のシミ抜きに関してもトップレベルの技術を持つという。
 店に入って左側に、四畳半の部屋ほどの大きさがあるイタリア製ドライクリーニング機が二台、鎮座している。最新鋭機で一台四万ドルもした。「とにかく設備投資です。最新の機械を使っていれば、子どもたちも関心を持ってくれる」(追田談)。
 久美子も「また買うのって、アタシも驚くぐらい」と苦笑いする。事実、長男のファビオ道雄(35、二世)も父の仕事を手伝う。
 その昔、ゴム景気の頃、マナウスの成金たちはパリまでドレスをクリーニングに出したという逸話があるが、現在も全伯から追田の店に送られてくる。
 SEDEXの送り主名にはベレン、ブラジリア、ポルト・アレグレなど多岐にわたる。
 道雄は一件、一件電話で尋ねる。「送り返す送料もかかるし、その時に折り畳むからシワになる。それでもいいんかって聞くんですが、『いいから、やってくれ』というお客さんが大半」。絶大な信用が寄せられている。
 それもそのはず、昨年五月十九日付けのヴェージャ・サンパウロ誌の「Os 50 mais Elegantes」(最もエレガントな五十人)という特集でもモード界の重鎮、コスタンザ・パスコラットや、ルーラ大統領の背広のデザインでも知られる有名スタイリストのリカルド・アウメイダは同店をお気に入りとして指名した。
 同じく昨年六月の日本移民の日にも、グローボ局の朝の人気番組で紹介された。ラウル・コルテースなど同局の看板俳優も愛用している。追田は「うちは一切宣伝してません。全て口コミで広まった」という。
 コロニアでは知る人ぞ知る存在だが、全伯二千五百軒が加盟する洗濯企業全伯協会(ANEL)の理事を八年間務めた関係で、ブラジル社会では顔が広い。
 そのため同業者から持ち込まれることも多い。この七月、パラナ州パラナグア市のカトリック教団から、第二百六十一代教皇の福者ヨハネス23世(在位一九五八~一九六三年)の法服の依頼があった。本来は別の業者が受けたが失敗し、修正の仕事が持ち込まれた。
 金刺繍がいっぱい入っており、見るからに高価で難しそうだった。まずは二週間かけて研究した。薬品会社の技師を呼んで意見を聞き、失敗のないように念には念を重ねた。
 「たった六十グラムの布に四時間もかかりました。普通なら二十五分でしょうね。それだけ集中してやりましたよ。だって末代まで残る仕事でしょ」と強いやりがいを感じて取組んだ。
 「本当に嬉しくて、大変な費用と手間をかけました。でも、これはお金に替えられません。御代を頂くわけにはいきませんよ」
 洗濯屋の心意気だ。
(敬称略、深沢正雪記者)

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