コチア青年=来月=50周年祭典=北パの仲間と親善交流=連載(4)=ロンドリーナに約30人=〃大根づくり名人〃も
2005年8月20日(土)
カルロポリスでの感動の余韻が続く八月七日午前七時半、コチア青年親善交流団一行を乗せたバスは、次の交流地・ロンドリーナに向かって走り出した。
道路の両側には小麦畑が地平線のかなたまで延々と広がっていた。トウモロコシ(ミーリョ)畑も散在していた。赤茶色の大地は紛れもなく肥沃なテーラ・ロッシャ(赤土)だ。この光景はロンドリーナを越え、マリンガを越え、交流団が訪問したカンポモウロンまでも続いていた。これこそ〃瑞穂の大地〃ではないのか。
先輩移民たちが入植した当時は、北パラナがこのように豊かな大地として姿を現すとは想像もできなかったかも知れない。開拓の苦労が報われた多くの先輩たち、パトロンとしてコチア青年を受け入れてくれたかれら先輩たちの恩顧を糧に、北パラナに生活基盤を築いてきた仲間たち、こころざし半ばで北パラナの土となった先没者たち、車窓から飛び込む光景から、わずか半世紀前、この地域が本当に「奥地」だったのだろうか、など、など、それぞれの想いが脳裏を駆け巡った。
交流団員を乗せたバスは午前十一時頃、アサイを通過した。ここで生まれた交流団初参加の水戸アイ子は「開発が進み、生まれた頃の面影は少ない。親たちが入植した当時の綿とコーヒーが、八〇年代頃から大豆と小麦に変転したようだ」としばしの感慨にふけっていた。
バスがコチア青年ロンドリーナ支部長の勝又三生男(静岡県)ら仲間が待つ交流会会場に到着したのは正午近く、すぐに交流会が始まった。「この地域にはコチア青年が三十名ほどいます。今日は半数以上が集まりました」と平間靖旺(宮城県)が説明したように、参加したのは(順不同)マリアルヴァの緒方誠二(熊本、第一次十五回)・ヒサコ夫人、アラポンガスの入江完治(福岡、一/七)と山本智(山口、一/十四)、イビポランの高橋英光(青森、二/十二)、コロラードの塩悦郎(秋田、一/六)、ロンドリーナの矢野彰一(福岡、一/四)、永田耕一(鹿児島、一/六)・恵美子夫人・四女ロセリ・ハルミ・五女ケリ・イツミ、山本喜義(山口、一/二)・子息ニルトン、木村勝(山形、一/七)、平間靖旺(宮城、一/九)・輝美夫人、勝又三生男(静岡、二/二)、岩永只清(佐賀、二/四)、西村尭(福岡、二/二七)、高見沢茂(群馬、一/六)。賑やかな交流会となった。
料理の名手・柏葉月子(鳥取)がボランティアとして手伝った。アラポンガスから豆腐、コンニャク、漬物を持参した入江完治は、この道二十年という。失敗を重ねながらも、研究を繰り返してきた結晶としての手づくり食品の絶妙な味わいが、参加者を魅了した。顧客との交流にもつながるため、自分で販売しているが、知人のスーパーにも卸している、と謙虚さの中にも自信をのぞかせていた。
ロンドリーナ中央卸売市場で〃大根づくり名人〃として知られている木村勝。二十年以上、年間を通して大根を栽培している。栽培が最も難しいと言われる夏場でも出荷しており、信用も着実に育ち、大手顧客もおり、需要に問題がないようだ。マット・グロッソ州からも買いつけに来るほどの人気だ。長男の敏(さと
し)が後継者として育っており、安心の六十九歳だ。
〃一匹狼〃の集団とも言われているコチア青年ながら、それぞれの風土に順応して、己の潜在能力を発揮していることが、短い会話の中からも伺い知ることができた。「県人会もそうだが、ふだんはサンパウロからの連絡が少ない。今日は仲間たちがそのサンパウロから来てくれた。本当に嬉しいよ」とは参加者の共通の感想であった。
交流会を終え、ロンドリーナの仲間十名が合流して、バスはローランジアの「パラナ州開拓神社」に向かった。(敬称略)つづく
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