「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(2)=生きることの困難と楽しさ=亜希子さん、初めて知った

2005年9月24日(土)

 アメリカに一年留学し、エステティシャンの資格を取得した宮崎亜希子さん(38)は、去年二月からゴイアス州都ゴイアニア市に美容室を開店した。渡伯前に働いていた経験を活かし、今年六月からは洋服屋も営んでいる。
 「この仕事は人間模様がよく見える」と宮崎さん。「ゴイアニアの人はほとんど一人では美容室に来ない。中、高校生の男の子も親と来たり、年の離れた恋人同士も多い」。女性一人では美容室に行かせたくないという男性が多いため、「もし女性一人で来る場合のために」と、夫であるブラジミール・タートマーカスさん(36)の案でゲイの美容師を雇った。「これで恋人が様子を探りに来ても大丈夫」と笑う。
 「髪の毛もそうだけど、服に関してもブラジル人はおしゃれ」。洋服屋ではパーティが多いのでドレスを中心に販売している。一方、ブラジミールさんはフェスタの音響や照明サービスをする傍ら、夢であった乳牛や豚の飼育もしているが「全然収入につながりません」と苦笑い。
 また、宮崎さんはインターネット上で店を開き、現在取り扱っているブラジルのドレスを販売している。「最近すごく増えている」というブラジルに興味を持つ日本人に協力してもらい、ブラジル国旗をプリントしたTシャツも作製予定だそう。「結婚式にバイアーノのドレスを着せたいって人もいる」というほど。その他、「夫がアメリカへ出稼ぎ中に集めた」という洋服を貧しい人に寄付をするなどボランティア活動もしている。
 「初めの二年間は、ブラジル人との考えのギャップばっかり考えていた」。ブラジミールさんがアメリカへ出稼ぎに行き、帰国した当初は親戚中から「お金を貸して」と電話がかかってきて、煩(うる)さすぎて電話線を切るほどだったそう。「ブラジル人は貸したら返さない。お金が絡まなかったらいい人なのに…」と呆れた声で話す。
 また、「常に家族が一緒に行動する点が日本と違う。ガソリンを節約するために、車が三台あっても二台にしてすしずめ状態になる。日本の通勤ラッシュよりひどい」と驚く。「夫の弟と三人で一緒に住んでいた時もあって、夫婦二人になりたいと思う時があっても、どこへ行くにも三人一緒だったのはしんどかった」。
 宮崎さんはブラジルに対して「お決まりのリオのカーニバルかボサノバくらいしか知らなかった」と言うが、アメリカに留学中、出稼ぎに来ていたブラジミールさんと出会ったことがきっかけで、二〇〇二年からブラジルに住むことになった。もう一つのブラジルに関する情報といえば「伯父が移民」だということ。初めて訪伯した時に伯父の実家があるフォルタレーザを訪れ、「道路も舗装されてないような田舎町の貧しさに本当のブラジルを見た気がした」と言う。
 このような貧しさを見て、「日本で不法就労している外国人を忌み嫌っていたけど、そうする以外どうしようもない事実を知った。夢を実現する手段の一つに『出稼ぎ』という考え方があることを知り、目から鱗が落ちた気がする」と日本にいた時と現在との考えの変化を話す。
 また、「何不自由なく何の夢もなく生活していた自分が恥ずかしくなって、本当の意味で生きる困難と楽しさを知った」。洋服屋と美容院、ボランティア、次々と夢を持ち、ブラジルで実現させてきた宮崎さん。今後はインターネットでの商売を通じて日伯交流を計りたいと語る。         つづく   (南部サヤカ記者)

■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〃日本人〃を意識=連載(1)=サンバに魅せられて=ゆかさん=欲しいものは必ずわが手